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『鬼滅の刃』玉壺(ぎょっこ)のポジティブさが”ツボ”に入ったので、つぼ繋がりの記事をご紹介(^^)。

玉壺は、漫画を読んだ時よりもアニメのテンションが面白くて、特に霞柱:時透無一郎との悪口合戦は、録画を何度も見返しています(笑)。

異形なんだけど自分こそが美しいと自信を持っていて、芸術家として自分は”神”と自画自賛。
確固たる自分の価値観を持っています。

人柄は鼻につき、他の上弦のみならず上司の無惨さまにもちょっと疎まれてるのに(^^;、馬耳東風。
ここまで自信が持てたら、何百年生きてても楽しそうです(笑)。

さて、壺といえば霊感商法の大事な商材。
こういう観点もあるのか、と興味深い記事があったので、ご紹介です。

アニメ「鬼滅の刃きめつのやいば 刀鍛冶の里編」(フジテレビ系列)は、6月18日にて最終回を迎えました。なかでも、“上弦の伍の鬼”である玉壺ぎょっこと、“柱”の一人である時透無一郎ときとうむいちろうとの戦いのシーンについては、ひとかたならぬ思いでテレビを見ていました。

と言いますのも、この鬼との戦いがどうにも現在、旧統一教会の解散命令請求に向けて、巨大な組織に立ち向かう、元信者、宗教2世、被害者を守る弁護士、被害者家族らの置かれている姿に重なってみえてしまうからです。『鬼滅の刃』ではいくつかのシリーズがありますが、特に今回の「刀鍛冶の里編」ではその思いを強くしました。

(略)
鬼たちは平穏に暮らすなかにやってきて、人々を襲い、次々に家族の日常を壊していきます。その姿はまさしく普通に暮らす人たちを信者にさせてその家庭を壊すだけでなく、多額の献金をさせて経済的な苦しみを家族に負わせる旧統一教会の手口そのもののように見えたのです。

旧統一教会の信者は人を直接殺すことはないかもしれません。しかし、教団の教え(統一原理)は、この世の親はサタンの父母であり、文鮮明教祖こそが、神の側の真の父母としています。この思想に染まることで、自分の親をサタンと見て行動を取ることになります。「なぜ、わが子がこんな姿になったのか」と、多くの人たちを悲しみの淵に陥れます。以前には、大学生の息子・娘が次々に教団の信者となることで家族が崩壊して「親泣かせ原理運動」といわれたこともありました。多くの人の人生が、統一原理によって狂わされてしまうわけです。

(略)
話の中に頻繁に出てくる言葉がありました。巡り巡ってわが身によい巡りが返ってくるという意味の「情けは人のためならず」です。その意味を、無一郎が身をもって深く知ることで、戦うシーンは圧巻でした。

実はカルト教団の中に身を置いた経験から、私にとっても教団を辞めるにあたり、この「情けは人のためならず」はとても大きな意味を持つものでした。

心のなかに深く埋め込まれた教義、マインドコントロールを解く上で、家族、親族、元信者、カルト問題に詳しい専門家の多くのサポートや助言を受けました。彼らにとっては、当時の私の存在など、取るに足らない者であったにもかかわらず、彼らは自分たちの貴重な時間を割いて、見返りなど求めることなく対応してくれました。

そうした一つひとつの思いが、脱会に向けての大きな力となったわけです。そこには、当然、家族や親族が衣食住すべてを含めて、尽くしてくれた土台もあります。多くの人が私自身に「情け」をかけてくれました。

考えてみれば、私に対して助言をしてくれた元信者や脱会した信者を持つ家族らもまた、同じように、誰かからの助言と思いを受けて、前に進むことができたのではないかと思います。それゆえに、こうしたサポートを受けた私もまた別な人たちへの希望となるように力を尽くす。こうしたものがつながっていくことこそが、カルトによる被害をなくすための次の世代への希望となると信じています。

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