東京コラム第7回|ぼくたちの仕事

「イソカワくんってどうやって(メシを)食ってるの?」

最近、そう聞かれることが増えた。

僕のメインの事業であるカフェ「いわしくらぶ」では到底稼いでいるように見えないのだろう。

まさにそのとおり。そんなに稼いでいない。(←ドヤ顔)

いわしくらぶ北見店は微黒(字)くらいだし、いわしくらぶ東京店にいたっては(少しずつ伸びてきているけれども)未だに赤字だ。

だけど、じつは見えないところでカフェ以外の仕事もしている。

その企業のスポンサードというか、僕個人に仕事を任せてくれる企業が数社あって、その企業の仕事を引き受けることで活動経費を稼いでいる。

本当にありがたいことだ。

やりたいことだけをやってメシを食っていくことは実際「ゆるくない」(北海道の方言で「容易でない」の意)。

だけど、かろうじてこれまでの人生のなかで身につけてきた「得意なこと」「できること」を人様に利用してもらって食いつないでいる。

では、実際その「やりたいこと」と「得意なこと」「できること」のあいだにはどのくらいの差があるのだろうか。

よくよく考えてみると、じつはそこにあまり差はない。

今日は僕たちの仕事について語ろうと思う。


僕たちの仕事はコミュニケーション

現在、僕たち(または僕個人)が関わっている仕事を大雑把に書いてみるとこうなる。

・シーシャカフェいわしくらぶの運営

・オホーツク情報発信番組の運営

・企業のウェブコンサルティング

・翻訳

「カフェ以外にも色々やっているんだね」と、まるでマルチプレイヤーのように言われることもあるのだけど、じつはやっていることはどの仕事も同じだ。

僕たちの仕事は「コミュニケーション」。

いわしくらぶというカフェに立ってお客様とお話しするのもコミュニケーション。

地域と地域の(潜在)ファンのあいだに立って情報をお届けし、繋ぐのもコミュニケーション。

企業(クライアント)とお客様のあいだに立って、情報の橋渡しをするのもコミュニケーション。

翻訳をとおして言葉の壁をなくすのもコミュニケーション。

そう。

僕ら、いわしくらぶというチームは自分たちが媒体となってA地点からB地点に情報を伝えている。あるいは伝えるための手助けをしている。

自分たちは媒体。メディア。

手を変え、品を変え、姿を変えてコミュニケートする。

ぼくはそんな自分たちのブロックチェーン的なあり方を「いわし」と呼び、そんなチームを「いわしくらぶ」と呼んでいる。

正直なところ、自分も最近まで「おれの仕事っていったい何なんだろう?」と思っていた。

だけど自分たちがこれまでやってきた(あるいは誰かから任さている)仕事について振り返ったときに、それはすべてコミュニケーションだということに今更ながら気がついた。


コミュニケーションの時代

いま、時代はどんどん変化している。

僕が中学1年生くらいのころに家にパソコンがやってきて、僕は「Google」というロゴを初めて目にした(我が実家では検索の際に父はGoogleを使い、僕はYahoo!を使っていた)。

そう。

父が使っていた検索エンジン「Google(グーグル)」。

僕はそれをみて「どうして、父さんはこんなに使いづらい(というか情報量の少ない)のを使うんだろう」と思っていた。シンプルすぎるだろ、と。

余談だが、僕は当時それを「ゴーグル」と読むのだと思い込んでいた。

中学校でも、

「ねえ、〇〇はヤフー使ってる?それともゴーグル使ってる?」

とドヤ顔でほざいていた。

そんな僕のゴーグル期は半年くらい続いたが、結局心優しい友人が「それ、グーグルって言うんだよ」と優しく諭してくれ、終了した。

とまあ、そんなGoogle先生が世間一般の家庭にも少しずつ到来し、僕を含む80年代生まれの日本の中学生たちはGoogle(またはYahoo!で)で社会を覗き、iモードで愛をささやき、掲示板にたむろして育った。

そのうちmixiというやつが現れて、ぼくらはコミュニティという概念を知った。

〇〇コミュニティと名付けられた四角い小さなボックスのなかには、暮らす場所も年齢も性別も違う、さまざまな人が集まっていた。

それはまさにコミュニティだった。

今になって考えてみると、それが僕たちの「コミュニケーション」の原体験だったのかもしれない。

ミレニアルズ世代に「メディア運営者」や「ライター」が多い気がするのも、もしかするとそんな時代背景のせいなのかもしれない。


コミュニケーションの千本ノック

そんな青春時代を数年過ごしたのち、高校2年の春に僕は高校を辞めた。

松下幸之助の名言集を授業中にこっそり読んでいたら、商人になりたくなってしまった。

手触りのある商いがしたかった。

「二股ソケット」を売ってみたかった。

高校を中退後、すぐさま上京して江戸川区にある本屋「読書のすすめ」で押しかけ弟子入りのような感じで丁稚奉公をさせてもらった。

「店長」の愛称で親しまれている社長・清水克衛に商いを教わりたかったのだ。

そこでは “コミュニケーション千本ノック” の日々が待っていた。

先述のmixiが液晶画面の向こうのコミュニティだとしたら、こちらは生のコミュニティ。

しかも、日本全国から集まるコミュニケーションの達人たち(今になって考えても冷や汗のでるようなメンツだった)が集まるコミュニティサロンだった。

そう。

「読書のすすめ」は本屋さんという形をとったサロンだったのだ。

店の閉まった夜10時。

シャッターを半分だけ閉めたあとで、どんどん入ってくる大人たち。

経営者、投資家、研究者、料理人、職人、スポーツ選手、主婦、学生。

「本が好き」

「読書のすすめが好き」

「清水克衛が好き」

とにかく様々な人が様々な目的で、日本全国から夜な夜な集まってきた。まさに浅田次郎の闇の花道・天切り松の闇語り。本と酒とタバコを手に朝まで語り合った。

僕はここで大人たちに混じって、(ジュースを飲みながら)ただひたすらにうなづいた。語りに耳を傾けた。

赤ん坊がまわりの大人たちをみて言葉を覚えるように、16歳の僕もまた、まわりの大人たちをみてコミュニケーションをみて覚えた。

そして、もう一つ。

ありがたいことに清水店長は「読書のすすめ」の重要な仕事のひとつであるメールマガジンをぼくに任せてくれた。

日本全国に数千人いる「読書のすすめ」ファンに向けて、高校を中退したばかりのぺーぺーがメールマガジンを作成し配信する。

店長が過去に書いたメールマガジンをみて、僕はそれを真似て書く。

そこに店長が赤(ペン)を入れる。どんどん入れる。

店長に赤を入れられた文章は息を吹き返したようにうねりだした。

(店長が赤を入れたあとのメルマガは本が売れに売れた。試しに赤を入れずにメルマガを配信したこともあったけど、残念ながらまったく売れなかった)

そんなことを繰り返した修行の日々が2年間、続いた。


そして、現在

「読書のすすめ」を辞めたあとはnoteの他の記事にも書いてあるように、地元である北見市に戻った。

数年間、高校の先輩が立ち上げた映像制作事業に関わったあと、NPO法人への参加を経て、独立した。

2012年にコミュニティカフェ「いわしくらぶ」を立ち上げ、2014年には「オホーツク情報発信番組」を立ち上げた。

2016年には株式会社KITABAの網走マネージャーとして、網走中央商店街の活性化プロジェクトにも参加した。

2017年にはクラウドファンディングを実施し、多くの方々の協力を得て見事達成。本とシーシャ(水タバコ)を提供する「いわしくらぶ東京店」を水道橋にオープンし、現在に至る。

これまで支えてくれたみんなのおかげでコミュニケーションを軸に仕事をしながら、今日も飯が食えている。


今後の課題

残る課題は山積みだが、とくに僕個人のコミュニケーション以外の能力が著しく低い。

いわゆる一般社会人としての基礎スキルだ。

そこを早急に解決する必要がある。

「再び東京にでてきてよかった」と思えることのひとつには、この僕のどうしようもなく低い基礎スキルを高めてくれる(あるいは穴埋めしてくれる)仲間に出会えたことがある。

自分がすべてを完璧にこなせる必要はないかもしれないが、お客様がいる限り、(自分の信念には従いつつ)お客様が満足する価値を提供し続けなければならないし、僕もしたい。

そして、そんな経営体制をより盤石なものにしてゆきたい。

一緒に働く仲間たちにも「ここで働けてよかった」と思ってもらいたい。

希望はある。

光は見える。

そして「必ず、そこにゆく」という自信もある。

端からみたら牛歩のような遅い足取りかもしれないけれど、一歩一歩と着実に踏み出して成長してゆく。

そうすることで、自分たちの強みである「コミュニケーション」を、もっともっと世の中に役立てられる。

やがて花は開く。

コミュニケーションは世界を変える。

世界のあらゆるコミュニケーションがもっと盛んになれば、そこには多様性が生まれ、今よりも住みよい場所になる。

世界のどこかに。あなただけの居場所を。

そんなキャッチコピーが、僕らいわしくらぶにこそふさわしいと言われる日がやってくるまで。

今日もぼくらはどこかで誰かとコミュニケーションをとっている。


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