見出し画像

システムエンジニアの使う不思議な言葉

「一回殺してくれる?」

「あ、死んだ」

私は大学院で修士をとった後、派遣社員として2年間IT企業で働いていた。

その時に驚いたのが、現場のSEが頻繁に「死ぬ」とか「殺す」といった物騒な言葉を、涼しげな顔で現場で使うことである。

「殺す」とは、わかりやすくいうと、走っているプログラムを止めること。

「死ぬ」とは、プログラムが止まってしまったり、PCの電源が突然落ちてしまったりすることを言う。

それまで「再起動しよう」とか、「動かないねえ」とか、そういう言い方しかしなかった私は、その言葉を聞くたびに「強制終了じゃなくて『殺す』んですかっ?!」と、心の中でびっくりしていた。

2年間働く中で私も少しずつ慣れていき、「死ぬ」はいつの間にか私の言葉になったけど、「殺す」はやっぱり抵抗があった。

そのいっぽうで面白かったのは、動き続けてることを「生きている」とは言わないし、動き出すことを「生き返る」とも言わないことだった。

ここにはきっと独特の文化があり、その文化の中で「死ぬ」や「生きる」が違和感なく使われているに違いない。

そう思って、ベテランSEにインタビューをお願いした。

「死んだ」ってどういう時に使うんですか?


<登場人物>

インタビュイー:いその(文化人類学者・IT好き)

インフォーマント:おちあいさん【仮名】(SE歴10年・現在インフラ担当・IT嫌い・10年という日々を振り返り、遠い目になってる)

*インフォーマント:文化人類学の言葉で、情報を提供してくれる人、という意味

**インフラ:ざっくりいうと、ユーザーからは見えない・意識しない部分の機能。例えるなら家の土台とか、水道管みたいな感じ。


いその:最近聞いた、あるいは使った、「死んだ」を教えてください。(下記おちあいさんから専門用語が飛び出しますが、何かわからなくてもそれほど問題がないので解説は省きます。気になる方はググってね)

おちあいさん:うーん。たとえば―

* TOMCAT死んでたわ。だから動かないんだ。
* データベースからデータ取ってこれないよ。Mongo死んでっからだよ、これ。

とか?

磯野: 「死ぬ」とは「止まる」という意味なんですね。

おちあいさん:うん。上品な人は、「落としました」・「落としていいですか」って言ったりもする。

磯野:「落ちる」もよく使うんですか。

おちあいさん:「落ちる」もよく使う。「落ちた」は出来事で、「落ちてる」は状態を示す。で、意図せずに停止した状態が「落ちた」。だから非常によくない言葉。

考えたくもないけど、よくない言葉。みんな背筋が凍る、インシデントレベル。

「落とす」はいいけど、「落ちちゃダメ」(笑)

磯野:「死んだ」・「死にました」の逆は「生きている」・「生き返る」ですか?

おちあいさん: いや、「生きてる」とは言わない。生きていることが前提だから言わないのかも。

でも「いま上がって来てます」「上がって来た」「いま上がりました」はよく言うなあ。今日も聞いた。

磯野:たとえばどんなふうに使うんですか?

おちあいさん:たとえば―

* TOMCAT死んでたから起動させるね。キタキタキタキタ、TOMCATキタキタキタキタ!いま上がりました。
* ポスグレ上がった? (起動した?)
* プロセス上がった?

っていう感じ。で、ベテランになると「起動して」とも言わなくなるかも。「上げて」、「上げちゃっていい?」という言い方になる。

磯野:なるほど。自分たちが作る側で、完全に動き出すまでの様子を目で見て確認しているから、そういう言い方になるんですね。

私、自分のWINDOWSが起動するときに、そんなこと考えたことありません。

おちあいさん:そうそう。自分たちで設計して、スクリプトも書いてるからね。

磯野:ちなみに「下がる」とはいうんですか?

おちあいさん:いや「下がる」とは言わない。消すときは一瞬で終わるから。だんだん下がっていくことはない。

「上がる」はどうやらインフラの人が使う言葉で、違う分野のSEは、この言葉はあまり使わないらしいことが他の方への取材で明らかになりました。

磯野:なるほど。最後に「殺す」の使い方も聞かせてください。初めて聞いた時怖かったんですけど…(笑)

おちあいさん:あー、確かに言っちゃう(笑) 今日も「殺して」って言ってたな。そういえば。

「killして」って言い方もするかも。LINUXには"kill"ってコマンドがあるから、そこから来ているのかな。

私は「殺して」って結構言っちゃうけど、上品な人は「killしますね」とか、「落としますね」っていうね。

磯野:SEって結構、擬人化して話す―

おちあいさん:確かに。

わざと同時に何万アクセスもするような負荷試験をするときは、メモリ見ながら「いまこいつすごい頑張ってます!」、「がんばれ!」って皆で言ったりするし、すごく使ったサーバーを消す時には「ありがとう」って思う。

支配者は誰だ?

「死んだ」についての質問から始まった、おちあいさんの言葉には、(インフラを担当する)SEに共有される独特の世界観が見える。

まず面白いのは、「死んだ」「殺す」はあるが、「生きる」「生かす」はないことだ。

一般論として、当たり前の状態は言語化されず、そうでない言葉は言語化されやすい。さらにそれがおかしいとか、あってはならないと考えられていると余計に言語化の対象になる。

たとえば日常会話では異性愛より、同性愛の方がよく使われる。これは前者が当たり前で、後者がそうではなく、かつ異常とされてきた歴史があるからだ。

SEの言葉にも同じことが言えるだろう。

おちあいさんの語りにもあるように、使い手側が終了させなければ、プログラムは動いていることが「当たり前」である。

だからプログラムが「生きている」ことは言語化の対象にはならない。

いっぽう、プログラムが意図しないところで勝手に動かなくなるのは問題である。

これが多くの人がアクセスするような銀行や、ネットショッピングのサイトならなおさらで、賠償金問題に発展してしまうかもしれない。

そうすると当然ながら、「当たり前」から外れた状態を指し示す言葉が登場し、それか頻繁に使われるようになる。

それがこの場合の「死んだ」「落ちた」であろう。

また「殺す」というかなり強い言葉から、作業が行われるデジタル空間において、絶対的な力を持っているのが、SEであることが伺える。

「殺す」という言葉は、一般的に相手の意思を含まない。

相手の意思ーこの場合はSEと関係を結んでいる、“PC”や“プログラム”がどう思うかーに関わらず、SEは相手を「殺せる」のである。

これは私たちがスマホを使う時にも通ずるところがあるはずだ。

スマホは自分の思い通りに動くことになっている。だから動きが遅くなったり、やれるはずのことができないとイライラする。

それはスマホの動きを、私たちが完全にコントロールすることが前提になっているからだ。

でも相手が猫だったら私たちはこんな風にイライラしないのである。なぜなら私たちは、猫が自分の思い通りになるはずがないと思っているからだ。

猫は、呼んでも返事はしないし、都合のいい時に甘えてくる。

でもスマホは呼ばれたら100パーセント返事をしないといけないし、いつどんな時でも気サクサク動かないといけないのである。(スマホに生まれなくてほんとうによかった)

SEが使う独特の言葉には、私たちがデジタル空間に抱く暗黙の期待と前提が込められているといえるだろう。

おちあいさん:全てのseがこうとは限らないけど、結構身近に感じてくれるseはいるはず!

ところで――

私たちが何不都合なく電車に乗れるのも、ラインがサクサクできるのも、ネットショッピングがボタン一つでできるのも、たくさんのSEの皆さんが、ブルーライトを身体に浴びながら、PCの前で頭を抱え、何日も残業を続け、落とす・落ちるを繰り返してくれたおかげなのです。

この記事を読んだ皆さんは、私達の何気ない日常を支えてくれているSEの皆さんにぜひ感謝の言葉をささげてください。

私達の日々の日常を支えてくださるSEのみなさん。ほんとうにありがとう。


お読みくださりありがとうございます。いただいたサポートは、フィールドワークの旅費、書籍購入など、今後の研究と執筆活動のために大切に使わせていただきます。