「何」の高揚感と、「なぜ」のうつぽっさ―松本サリンから死刑執行まで

1994年6月に松本サリン事件が起こった。

事件は、私が通っていた高校のすぐ近くで起ったので、あの街のざわざわはいまでもリアルに思い出すことができる。

みんな何が起こったのかわからずにいた。

化学薬品を使っている会社に勤めている人は片っ端から警察に呼ばれていたらしく、その中にはうちの父親も入っていた。

話はほとんど世間話だったらしい。

「警察の人も困ってたよ」と、帰宅した父が笑いながら話していたことを覚えている。

第1発見者の河野さんが犯人ではないか、みたいな報道が散々なされた後、事件は急展開し、オウム真理教の仕業であることが明らかになった。「サリン」とかいう人を殺す以外の目的しかない猛毒を、かれらが散布したことを私は知った。

私の中のオウム真理教と言えば、あまりイケてない服を着て、不思議な帽子をかぶり、妙な歌を歌って選挙に出ていた人達だった(とはいえ、あの歌を私はまだ歌えてしまうので、その意味ではすごい歌だったのかもしれない)。

そんな人たちが、こんなのどかな街でサリンを撒いていた。

通学路で起こった出来事なのに、自分の人生と松本サリンはどうにもこうにもつながらなかった。

上京をしたら今度は地下鉄サリン事件が起こった。

私はたまたま地下的に乗っていなかったけど、あわてた母親が電話をかけてきたことはまだ覚えている。

私は道でうずくまり、救急隊員が駆けつける姿をテレビで観ながら「またサリン!」と思った。

テレビはオウム真理教で一色になった。意味不明なヘッドギヤをつけていたり、空中浮遊とみなされているらしい、どうみても浮遊ではない映像を観たりしながら、「なんておかしな悪い人達なんだろう、はやくみんな逮捕されればいい」、そう思ってテレビを観ていた。

どこかに正義があって、その正義が悪い奴らを一掃できる。

あの頃の私には、そんなナイーヴな思想が確かにあった。

「なぜ」を知るための語りよりも、漫喫の椅子が注目された

そんなお花畑の思想はすっかりなくなったいま、13人もの死刑が執行された一昨日までのできごとを振り返ると、怖いなと思うのは、この事件の扱われ方である。

既視感を持ってメディアで扱われるのは、いつも「何」。言い換えると、短時間で人の目を引くことができる、映像や写真としての人やモノであって、それが「なぜ」起ったかではない。

たとえば高橋克也氏が逃亡の末につかまったとき、ある番組では、彼が漫喫のどの位置に座っていて、どうやって警察が彼に話しかけたのかという話を、漫喫の見取り図のみならず、彼が座っていた椅子まで再現しながら長々とやっていた。

でも逮捕後、彼がどんな供述をしているのかの詳細が、メディアで取り上げられることはほとんどなかった。彼の語りの「なぜ」よりも、彼の逮捕時の「何」の方が注目されたのである。

この傾向は、一昨日の死刑執行まで何も変わらなかったと思う。

もちろんジャーナリストの江川紹子さんのように、あの事件の「なぜ」を丁寧に追い続けていた人たちはいる。でも残念ながら、その姿勢が社会の中の多数派の姿勢ではないことは明らかである。(そして「なぜ」をしっかり追おうとしなかった私も、そんな多数派の1人だ)

死刑囚が移送された。

死刑が執行された。(しかも執行シールという「何」をご丁寧に用意した番組もあった)

死刑の前に誰が何を言った。

松本サリン事件の時から死刑の執行まで変わらずに注目され続けたのは、事件の「なぜ」ではなく、「何」であった。

「何」の高揚感と、「なぜ」のうつっぽさ

映像や画像、あるいは一言で短時間のうちに表すことのできる「何」に比べ、「なぜ」にはどうしても時間がかかる。たくさん話を聞き、たくさん読み、そしてたくさん考えなければならない。これは結構めんどくさい。

また「なぜ」の結果、答えの「何」に到達できれば楽しいけれど、そうならないこともたくさんある。だから気分はどんよりする。

少なくとも私にとってあの事件はそういうたぐいのものである。

オウム真理教に関する一連の事件は、その宗教の創始者、あるいはその周りの数名に原因を押しつけて解決する話では当然ないだろう。

「なぜ」あのような事件が起こったのか。

それを問うためには、あの90年代はどんな時代だったのか。日本において宗教とはどんな存在なのか。社会はオウム真理教という宗教をどう扱っていたのか。なぜ信者はサリンを撒くという暴挙に出たのか、そんな無数の問いを立て、それでもなお「はっきりした答えはわからない」というような、宙ぶらりんの状態に私たちは自分たちを置かないといけない。

そしてきっとその過程では、「あの事件を犯した人たちと、私たちは実は底辺ではつながっているんじゃないか」といった、白黒がごちゃまぜになるような、めんどくさい問いもが生じてくる。そしてそこまでしても多分明確な答えは出ない。

これはどう考えても楽しくない。

奇妙な「何」に注目し続けることは可能であるし、そのためのツールは大量に存在する。

そしてそうすることで私たちは、それを自分ではないと感じ、時に見下し、時に鼻で笑うことによって消費し続けることができる。自分の世界に属していない風変りな「何」を見ている(と信じる)限り、それは高揚感あふれるエンタメの世界である。

でもそれは、「あの事件を二度と起こさないための道」に進むためのやり方ではないだろう。

そういう道に進むためには、いまの時代にはそぐわない、「どんより感」を引き受け、「なぜ」を問い続ける覚悟が必要な気がする。だけどそういう過程はほとんど見られないまま、13人の死刑という形で事件はとりあえずの終幕を見てしまった。

最後に江川さんの次の記事から下記を引用しておきたい。

"法務省としては、一連の事件で死刑判決を受けた者を短期間に執行することが公平な対応だと考え、最初から今月中に全員を執行するつもりだったのだろう。しかし、首謀者であり、自分を信じて付き従った弟子たちを人殺しにした麻原と、事件の実行犯として使われた者では、その責任の大きさは天と地ほども違う。

また弟子たちは、未曽有のテロ事件を引き起こしたカルトの内情や、そこに人が引き込まれていくプロセスについて語れる生き証人でもあった。オウムと出会う前は、人生の意味について考え込むようなまじめな青年だった人たちである。オウムのマインドコントロールから解放された後、自らがなしたことを深く悔い、経験を裁判で詳しく語ったり、若い人たちがカルトから身を守るための手記を書くなどした者もいる。

 そんな彼らから、心理学や宗教学の専門家が十分にヒアリングを行うなど、刑事裁判とは異なるアプローチの研究を行っていれば、今後のカルト対策やテロ対策のために重要な資料になっただろう。実際、カルト問題の研究者が、面会調査の申し入れをしていたのに、法務省はそれを無視した。

 結局、この国は、社会に衝撃を与え、多くの被害を出したオウムの問題を、刑事事件として処理するだけで終わらせてしまったのだ。落胆を禁じ得ない。"




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磯野真穂|文化人類学者

からだ、食、医療、科学技術をテーマに研究をしています。これまでに拒食・過食、摂食障害、医療・介護現場の問題、循環器疾患、漢方外来でのフィールドワークを行ってきました。都内大学教員。(Twitter →@mahoisono) Photo by Takano Yukari

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