「おいしさ」を忘れていませんか?

突然ですが、この1週間であなたは何を食べましたか?

そのなかで「おいしいなあ」と思ったものは何ですか?

どうしてあなたはそれをおいしいと思いましたか?


私は15年にわたり、摂食障害を文化人類学という学問の立場から研究をしてきました。

文化人類学?と思う方はこちらをご参照下さい。

そしてその15年にわたる調査の中で明らかになったこと。

それは、摂食障害の渦中にいる人は「おいしさ」を感じることがとても難しいということです。

摂食障害とおいしさの関係はほとんど注目されていないトピック。というより、「そんなことはどうでもいい」と思われてきた、といった方が適切かもしれません。

なぜなら摂食障害とは、心の問題であり、心の問題が食に現れているだけだから、食に注目をしても意味がない、というアプローチが医学や心理学の王道であるからです。

「食の問題は、本体の影みたいなものだから、影ではなく本体を見なさい」というような感じでしょうか。

いっぽう、文化人類学はそうやって境界を作ってしまう見方を、どちらかというと避ける学問です。

この問題に関して言えば、食と心の問題はもっとぐちゃっとしていて、二つに分けることなどできない、という立場をとるのが文化人類学です。

3月17日にファイナルを迎えた「からだのシューレ」最終回では、この「おいしさ」をテーマにワークショップを行いました。

といっても、「からだのシューレ」って何よ?、と思っている人も多いですよね。

なので本題に入る前に「からだのシューレ」をまず説明させて下さい。

あなたの欠点を探す前に、まずは世界を見てみよう

「からだのシューレ」は文化人類学者の私と、摂食障害の啓発活動をしている林利香さんとで始めたワークショップです。

シューレはドイツ語で「自由」、「学校」という意味。

私はずっと「あなた自身の欠点を発見し、修正しようとする前に、あなたの周りにある世界を眺めてみましょう」というアプローチをもった、からだと食べ物についてのワークショップを開きたいと考えていました。

別に「あなたを修正しましょう」アプローチが悪いと言っているわけではありません。

ですがからだと食については「私たちが正しい知識を提供してあげるから、あなたのここを変えましょう」というアプローチがとても多く、ちょっと行き過ぎ邪中と思っていることが事実です。

世の中にあふれるダイエット本はその典型と言えるでしょう。

間違ったダイエットさえしなければ、リバウンドはしない

そんなものを食べているからやせられない

一見ふつう体重のあなたは実は隠れ肥満

などなど。

こんな風に私たちはからだと食についての「正しい」情報に常に囲まれており、新しい「正しい知識」が毎年登場するわけですが、専門家の助けを借りないと、私たちは間違ってばかりなのでしょうか?そんなに私たちってわかってないのでしょうか?

私たちのからだ。私たちの食。

それに対する自分たちの感覚をもっと信じてみてもいいんじゃないのかな?

そんな私の想いが、林さんの協力で2年前の2016年3月にとうとう実現。

それは「からだのシューレ」と名付けられ、以降11回にわたり、東京と金沢で実現しました。

「こうありなさい」「こうあるべき」

身体や食べ物へのそういった縛りからすこし楽になれるようなワークショップが目標です。

これまでに参加してくださった方は約170人。摂食障害の当事者、身体や食べ物のことに興味がある人、医療者の方、メディアの方など、10代から60代までの実にバラエティに富んだ方が足を運んで下さいました。

過食や拒食の渦中にいるとおいしさが消えてしまう

それでは—ようやくですが—ここで本題に戻りましょう。摂食障害の調査を続ける中で私が気づいた「おいしさ」についての話しです。

過去の開催内容に関心のある方は、こちらをご覧ください。

一口に摂食障害と言っても状態は様々で、引きこもり状態で一日中過食嘔吐を続けてしまう人、日常生活は何とか送ることができているけれど、一日何十回も体重を測ってしまい、少しでも増えていると怖くて食べられなくなってしまう人、体重は全然気にしない人など、いろいろなパターンがあります。

こう書くと「結局摂食障害って何なの?」と思う人もいるかもしれませんが、実際専門家が使う診断基準も何度も改訂されています。ただ度重なる改訂を通じても共通するのは、拒食症は、自発的な食事制限が長期間にわたって継続すること、過食症は過食と代償行動と呼ばれる、過食を相殺するための嘔吐や、下剤乱用、過激な運動があるとう点です。ちなみに最近は「むちゃ食い症候群」と呼ばれる代償行動を伴わない病名も新しく仲間入りしています。

したがって「摂食障害の人にこういう特徴がある!」と言い切るのは非常に難しいのですが、少なくとも私のこれまでの研究の中では、過食や拒食の渦中にいる人はおいしさを感じにくい、という傾向はハッキリ現れていました。

ファイナルではおいしさについて考えた

「おいしさ」について考えてもらうため、ワークショップでは、①この一週間で食べたおいしかったもの、②なぜおいしいと感じたのかをできるだけ詳しく書いてもらいました。

それでは、摂食障害の渦中にいる人と、そうでない人。両者にはどんな違いが出るのでしょう?

まずは食に難しさを感じていないオクラさん(仮名)のエピソードです。

私がこの一週間で食べたおいしかったものは、中華街で食べたふわふわホットケーキです。ほんとうは中華料理を食べようと思って友達と繰り出したのに、なぜかホットケーキの店に辿りついてしまいました。でもそこのホットケーキが「これ飲めるんじゃ?」というレベルでふわふわで、すごいおいしかった。ホットケーキは全然目当てじゃなかったのに(笑)

それでは同じ質問を拒食の渦中にいるオクノさん(仮名)にしてみましょう。

「この一週間で食べたおいしいものはありますか?」

「………イチゴ」

「どうしておいしいと思いましたか?」

「...おいしかったから」

オクラさんとオクノさんの語りはずいぶんと違いますが、二人を分け隔てているものはいったい何でしょう?

もうお分かりだと思いますが、オクラさんの話しにはストーリー(物語)が、オクノさんにはそれがありません

オクラさんの「おいしさ」には、「本当は中華料理のはずだったのに、なぜかホットケーキを食べちゃった。でもそれがまじおいしかった!」という時間の流れがあります。

一方、オクノさんの話しにはそれがありません。おいしかったものを考えるだけにも一苦労で、やっと考え出したイチゴについても、なぜおいしかったかについては答えることができないのです。

つまりオクノさんの話は時間が流れず、食べ物は「点」の中にしかないことがかわるでしょう。

それでは、なぜこんなことが起こるのでしょうか?

「からだのシューレ」ファイナルでは、「おいしさと物語」を手掛かりに、世界を自分の目で眺めてみること、その中で自分の身体を信じてみることを考えました。

ワークショップの終わりに書いてもらったアンケートにはこんな感想が寄せられています。


自分の中で「いけない(ダメなこと)」と思っていたことが、実は内面化されていたものだったと知り、気持ちが楽になった。「正しい」と言われていることに対して違和感をもって良いのだと思えた。とても楽しい時間でもありました。ありがとうございました^^(20代女性/学生)

からだのシューレ最終回、とても淋しいです!ぜひ充電してまた再開してほしいです。こういった「からだ」のイメージを変える機会を子どものうちに持てたらいいのになぁと思います。(30代女性/会社員)


やせることに限らず、正しいとか正しくない こうすべきだとか 価値観の幅が広がりました。というか、なくなりました。他の人の価値観も認められるようになりました。(40代女性/医療専門職)


こんな形で区切りを迎えた「からだのシューレ」ですが、ありがたいことに「続けてほしい!」という多くの声を参加者の皆さんからいただくことができました。

なので「からだのシューレ」、しばらくしたら復活します!

現在、これまでのコンセプトを残しつつ、新しい形でスタートするための計画が進行中です。

新生シューレの誕生、ぜひ楽しみにしてください。

最後になりますが、これまで足を運んでくださったみなさま、ほんとうに、ほんとうにありがとうございました。



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