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編集者・江坂祐輔という勇気

9月下旬に哲学者・宮野真生子さんとの20通の往復書簡、『急に具合が悪くなる』が晶文社より出版されます。前々回のnoteで私は、この本が異質な理由の一つを「著者二人が物語を駆け抜ける書であるから」と書きました。

おそらく本を書いたことのある人であればあるほど、この言葉に疑いを持ったと思います。そんなことでできるはずはない、そんなのは売り文句に過ぎず、実際は作られたプロットがあったに違いないと。

ですがこの本では、本当にそれが可能になりました。そしてそれを可能にしてくれたのが、この本を担当してくださった編集者・江坂祐輔さんです。

詳細は本文に譲りますが、私たちは書簡を始める当初から、お互いが共通して持つ問題意識について、書籍化ができればいいと思っていました。

とはいえ、それは私たちがそう思っていただけで、書籍化が本決まりになったのは、江坂さんが企画会議を通してくださった6月上旬。その時点で既に15通のやり取りが終わっていました。

では企画会議通過後の残り5回はどうだったのか。もちろん書籍になるという未来が意識されたことは間違いありませんが、それでもなお私たちはこれまでと変わらないやり取りをすることができました。

なぜそれが可能だったのか。

一つには、宮野さんの具合がどんどんと悪くなり、それどころではなくなったということがあります。しかしそれだけではありません。私たちが物語を駆け抜けることができたのは、江坂さんが私たちのやりとりに一切の介入をせず、こんな言葉をかけてくれたことに尽きます。

宮野さま 磯野さま

ご連絡どうもありがとうございます。
とにかく、いまは楽しんで往復書簡を続けていただければと
思います。仕上がりとか一切気にしないでOKです。

自分の手腕はともかく、棒倒しの棒は倒れる方向にしか倒れませんので、
そこの見きわめだけをしっかりやれたら、何も力を
入れなくてもちゃんと倒れる(皆に届く)と思います。

私も楽しみにお待ちしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

江坂 拝


このメールを受け取ったときの衝撃を私は今でもありありと思い出すことができます。こんな言葉をかけてくれる編集者が世界にいたんだ、と私は心底驚きました。

編集者には色々なタイプがありますが大抵の場合(企画を通さねばならないため当然のことですが)全体像が欲しいと言われます。何よりもまず、「はじめに」を仕上げて欲しいという方、人の目を引くタイトルからまず決めたいという方、草稿の段階から、注の入れ方にまで指示を出す方もいます。(これはいいとか、悪いとかではなく、編集者のスタイルの問題です。)

また、企画を通そうと頑張ってくれても企画会議で営業サイドの意見に押し負けてしまい企画として成立しなかったり、企画自体が大きな変更を余儀なくされることもあります。

でも江坂さんは、「全体像が見えないと企画にならない」とか、「本書の意義が不明確」とか、「ここはこうした方がいい」などといったことは一切言わず、内容の全てを私たちに委ね、企画会議という私たちには絶対に手が出せない場所は、自分の仕事だからと守り切り、私たちには一切の変更を要請することなく、企画を通してくれました。こんな風に著者を信頼し、戦うべきところは戦ってくれる、こんな編集者に私は出会ったことがありません。

それだけではありません。

この本にはもう一つの大きなリスクがありました。それは著者の一人が執筆途中でいなくなり企画自体が成立しないという、編集者としては大きすぎるリスクです。企画を通した後、企画自体が潰れたら…。

損得勘定で考えたら乗らない方が賢明でしょう。

でも江坂さんは、その可能性を知りながらも「自分を選んでくれた」、「自分がやらなければ誰もやらないと思った」、「互いが命を削って書いているのがわかるから」と、企画に乗り込み、最速のスケジュールを組んで、書籍化に向けて走ってくださいました。

著者である宮野と磯野を支えてくれたのは、江坂祐輔という編集者の勇気であり、彼なくしてこの本が世に出ることはなかったのです。

そして江坂さんは、ブックデザイナー・佐藤亜沙美さん(@satosankai
)という、もう一つの勇気との出会いをもたらしてくれました。佐藤さんもまた本書の抱えるリスクを知りながら、自分ごととしてこの企画を引き受け、本書がどうやったら多くの人に届くのかの知恵と想像力を絞り続けてくださりました。

そして佐藤さんは、やり取りの力強さを残しつつ、でも多くの人が手に取ってくれるような優しい本にという、ある種、矛盾した依頼を叶えてくれた、イラストレーターの藤原なおこさん(@ochocco)との出会いをもたらしてくれています。

今の時代にそぐわないかもしれませんが、『急に具合が悪くなる』にはしばしば勇気という言葉が登場し、これはこの書簡の重要なキーワードの一つとなっています。

著者である宮野と磯野にとっての勇気とはどんなに死が間近に見えても、そうではない未来に向かって走ろうという覚悟でした。そして私たちの疾走は、この書簡を世に出そうとともに走ってくださった、編集者・江坂さん、ブックデザイナー佐藤さんという二つの勇気にも支えられていたのです。

【関連note】


このマガジンは、不思議な巡り合わせで同時期に出版されるダヴルノマの3巻本、『急に具合が悪くなる』(晶文社、宮野真生子&磯野真穂)、『出逢いのあわい:九鬼周造における存在論理学と邂逅の倫理 』(堀之内出版、宮野真生子)、『ダイエット幻想ーやせること、愛されること』(ちくまプリマー新書、磯野真穂) の紹介ページです。

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