小説を直すよ。

3月末の文学賞に投稿する予定の3作品について、1月下旬ぐらいに下読みをお願いしていたのだけれど、フィードバックがほぼほぼ返ってきました。だいたい10名ぐらいの方々が下読みしてくださって、とても助かります。目の付け所はみんな違うのだけれど(そりゃそうだ)、どの感想もその本人にとっては間違いなく真実なのだから、真摯に受け止めないといけない。

もちろん、例えばふたりの感想が全く真反対の修正を要求しているようなことは多々あります。端的にいえば「ここが面白いから伸ばしたほうがいい」「ここがつまらないから減じたほうがいい」のふたつの感想をもらうようなかんじ。こういうときの修正はとても難しくて、ただ、どちらか一方に依るような修正はできるだけしたくない。たぶんこういうときでも、実はふたりの意見は同じ小説の弱点を根幹としていて、そこさえ直せば奇蹟的にふたりの要求を満たすことができる、ような気がする。それができるかどうかは別として。

「読者を選ぶような小説は書くな」というのはときどき思い出す金言です。それと「小説はお人形遊びになってはいけない」ということも大切にしています。ぜんぜん別のことを言っているようですが、詰まるところ作品に向かい合ううえでの誠意の話だと思います。

頂いた感想のなかには、分かるものも分からないものもあります。分かるものだけを修正したほうが簡単だし、確実なのだろうけれど、分からないものを分からないまま修正しているうちにその意味に気づくこともあります。誰か作家が「もらった修正案はどんなものであれ必ず一度は小説に入れるようにしている。入れてみてからどうするか考える」みたいなことをおっしゃっていた気がしますが、とても難しいけれど大切なことなのだろうと思います。

冷静な判断として、3作品ともに受賞は無理だろうと思います。下読みしてもらって大変申し訳ないのだけれど、いまの筆力をエクズキューズにするしかない。いまのところ、よくて1次通過の筆力しかないのだから。ただ、変えようのない推敲の質をエクズキューズにすることはあっても、変えることのできる推敲の量をエクズキューズにすることはないよう、がんばって修正したいと思います。推敲にあたっての心づもりとしては「ちょっとでもマシな作品にする」ということです。ほんのすこしでいいから、下読みしてもらう前よりもマシな作品にしたい。メンタルが弱いと無理な修正を入れてしまったり、安易なネタに逃げてしまったりしがちになると思うのですが、できるだけ誠実に、ちいさな修正を少しずつ入れていきたいと思っています。

締切は3月末。そんなに多くのことはできるとは思っていないけれど、できることをできるだけ、がんばります。

年頭、「済美」「節義」「自信」という目標を掲げました。この目標に対し、ちゃんと胸を張れる作品にしたいと思います。

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