西日本ジャグリング新人戦審査員を終えて

関西ジャグリング新人戦の審査員を務めさせていただきました。審査後に審査員があれこれ言うのも野暮ですが、今回の結果と今後のジャグリング大会の審査について私が思ったこと、考えたことを忘れないうちに書いておきます。本記事の内容は特定の個人に向けたものではなく、全体を見た私の印象です。個人個人について、何が良かった何が足りなかったという話ではありませんので悪しからず。

「見せ方」の重要さ

今回審査する上で、「見せ方」もやはり重要だなと再認識しました。

正直なところ、皆さん相当練習したのでしょう、技に関してはかなりレベルが高かった気がします。後は、そのレベルの高い技をお客さんが見やすいように、盛り上がるように演出できたか、が一つのキーだったように思います。

これは私の考え方ですが、例えば学生大会や新人戦などの「ルーティン」で点数を付ける総合大会では、やはり一つのパフォーマンスとして優れたものが高い順位を取るべきだと考えています。そうでなければ普段の練習着で難しい技だけひたすらやって、帰ればいいだけですからね。もちろん、道具等の条件を厳しく縛ってスポーツ競技として行う分にはそれでいいと思いますが。

パフォーマーとして、お客さん、見る人の心をどれだけ動かせるか。その手段の構成要素としてレベルの高い技ももちろんありますし、その技の「見せ方」も欠かせないのではないでしょうか?衣装はもちろん、選曲もありますし、立ち振る舞い、キャラクターも重要でしょう。そして何より、衣装と曲、キャラクターのマッチングができているか。このマッチングがないと観客は違和感を覚えます。安心して、見やすい演技であったか。私も気をつけねばなと思いました。

難易度に替わる指標「ボリューム」

当然、「見せ方」を考える上で「見せる物」も必要になるかと思います。その指標の一つが「難易度」だと思いますが、これについて今回一つ思う節があります。「難易度」てかなり演者視点だな、と。

話が突然変わりますが、先日Mysticというマジックの公演を観てきました。日本と韓国からトップクラスのマジシャンを呼んだイベントとのことです。私はマジックに関してはてんで素人ですが、むしろその分大変楽しめました。まるで魔法を直接見たかのような気分。ただ、その魔法を実現するための難易度ってあんまり観客である私には関係ないんですよね。必要なのは「不思議!」を実現できているかどうか。そのためには手先の器用さとか、練習時間が何時間だとか、どんなタネがあるだとか、そういうのは観客には関係ない。

話をジャグリングに戻します。おそらく一昔前(なんて言ったら怒られるでしょうか?)ならお客さんの満足度、演技のボリュームはそのまま難易度だったのでしょう。何個投げて何回回って何個取れるかの世界。しかし今では、マニピュレーションや演出効果としてのジャグリング、身体表現などなど難易度では表せないようなジャグリングの面白さが多くあります。決して難しくなくても、「観て良かった」と言えるジャグリング。こうした多様性を認める、発展させるためにも「難易度」という指標から「ボリューム」「満足度」のような指標にシフトすべきではないでしょうか?(名前はひとまず置いといて)この「ボリューム」を満足するために、例えばトス道具なら難易度だったり、ポイなら軌道の面白さだったり、リングならマニピュレーションだったり、道具によって様々な特徴を活かしたアプローチがあるのではないでしょうか?もちろんその結果、難易度を出しにくい道具で難易度を出す、というアプローチもできるかと思います。

「あの技って難しいの?」という話題はよく出ますが、もはや手段が目的になっています。「あの技面白い(すごい、かっこいい…などなど)ですね!」と言われるための手段の一つが難易度。これが本来あるべき姿ではないでしょうか?演者が難しいかはどうでもよくて、その技が面白いか。その面白さは、これまで通りの難易度でもいいし、他にも色々あると思います。

ちなみに「ボリューム」だと審査員的にも嬉しくて、判断がより正確になります。できない道具の難易度はやはり想像でしかわかりません。普通は習得にどれくらいかかる、とか、自分はその道具をこれくらい扱える、とかを材料にした想像。演者も、「難易度が伝わらない!!」となるわけです。でも「ボリューム」なら審査員が満足したか、面白いと思ったかどうかですので、演者も文句は言えません。これなら数多くのジャグリングを観てきた人が審査員をやる意義も出ますね。

「ボリューム」「満足感」「火力」「ジャグジャグしさ」どんな名前がいいのか考えてみますか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?