群衆の綺麗さ

「一は全、全は一」
漫画「鋼の錬金術師」で出てきた言葉だ。「全」という入れ物があって、その中に「一」が入っているわけではなく、全ての一が全体を構成している。錬金術は「一」同士の繋がり、システムを理解すること、みたいな話。

最近OK Goの動画をよく見返している。特にお気に入りが"I Won't Let You Down"である。
傘を用いた大人数のマスゲーム的なパフォーマンスを、ドローンで俯瞰しながら撮影している。

群衆が一つの目的を持ったように行動する様は非常に綺麗に感じる。集団行動が競技としても存在する日本ならではの感性だろうか。

ジャグリングと群衆の綺麗さの関連を考えてみる。ジャグリングは複数個の道具を同時に扱う技術でもある。そういう意味では、ジャグリングを用いることで、一人で群衆パフォーマンスを行うことができる。しかも数を増やすこともできる拡張機能付き。群衆において、オブジェクトの数が増えることは本質的に良いことである。

ジャグリングにはパッシングと呼ばれる技術もある。その他、私が所属しているジャグリング・ユニット・フラトレスでは、多人数で道具を扱う場面が多々出てくる。複数人でジャグリングを行う際、群衆は入れ子式になっている(同じ形ではないが)。系が系を形成している。
道具 < ジャグラー < ユニット < チーム…
という形だ。

ここで新しい入れ子を作れないか考える。一番小さい系は道具なので、ここにもう一つ小さい系が入らないか?道具、物体の中の群衆の例を考える。宇宙ゴマ、マトリョーシカ、ロシアンボールの中の砂、電車の乗客…この辺を使って新しいパフォーマンスを作れるかもしれない。

みなさんも、ジャグリングを「群衆」という視点から眺めてはいかがだろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?