「皿回さない」の意味

11月に行われた六甲祭で2日目のみルーティンを披露させていただいた。その時路上パフォーマンスの司会も担当させてもらったのだが、自分の演技に対して「年々皿を回す割合が低くなっておりますが…」というようなことを言った。実のところ、「もう少し回して欲しかった」という意見もよく言われた。

本稿は私が提唱している「皿回さない」についての話である。元々は皿回しの演技中、つなぎとして入れていたマニピュレーションに過ぎないものに、なぜ、わざわざ名前をつけたのか。

皿回しジャグリングの基本形は、当然皿を回して棒に乗せた状態である。初心者の場合はここから投げてキャッチ、サイトスワップ、ボディスローなどを練習する。しかし、ある程度実力がついたところで「さてどうしよう」となる。発想に限界が見える。動けなくなる。

これは、皿回しに限った話では無いように思う。ボールならカスケード、シガーなら三つ並べて両端を持った状態、ディアなら加速後、デビルスティックならアイドリング…特にシガーについては「死の形」と言われてるとかないとか。

ジャグリング用のお皿は回しやすいように中央が円錐型に作られているのだが、だからといって回さないといけないわけではない。回さなくても面白い使い方はあるし、そういうタガを外しておいた方が発想は自由になる。「面白いか」どうかがすべてであり、回すのは手段に過ぎない。そうやって自分を型にハメないよう心掛けるために、「皿回さない」と名付けた。

また、これによって嬉しいのが、「皿回し」について改めて考えることができる。「皿回さない」があるのだとしたら、なぜ「皿回し」をするのか?「皿回し」にしかできない動きは?特徴は?これを考える機会になるし、オリジナリティ、面白い技が生まれやすいように思う。

ジャグリング道具は良くも悪くも特定の使い方をしやすい形である。物体操作の良問とでも言えば良いだろうか。「こう使ってください」と言わんばかりの形。その分使い方が限定されがち、という意見は否定できない。どれだけ型から外れた使い方を生み出せるか。これもジャグリングの楽しみ方なのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?