「必然性」について

先日サクノキさんの大道芸を観た。
https://youtu.be/EHDnt9JdyMg
おどけて観客を笑わせる、いわゆる「クラウン」の芸だが、派手なメイクや衣装ではない、自然体なキャラクターである。

この自然体さは芸風にも出ており、全てのジャグリング、客上げのタイミングが唐突なものではない、「必然性」を持っている。本来「服を着替える」「高い場所の花を取る」「ハットをかぶる」だったりは普通に行えば何の造作もなく行うことができる。が、ここで「クラウン」というキャラクターが効き、物事を行う下手さ故に簡単に目的を達成できない。そこでジャグリングや、観客に手伝ってもらうなどの工夫を加えてなんとか目的を達成する。「何か難しそう」。

ジャグラーとして注目すべきポイントは、ジャグリングが演技中に自然に組み込まれていることだろう。舞台などで「ジャグリング唐突に始まる問題」が「目的達成のための遠回りな手段」として組み込まれている。カッコつけのためではなく、演者のおどけに対抗する手段として。

もちろんジャグラーがこれから演技する際同じようなおどけたスタイルにすれば良いかと問われればそれは違う(もちろんやりたい方はやってみてほしい)。そこで先程も挙げた「必然性」に注目する。

「ハットを被る」「遠くにあるものを取る」これらは日常行う行動であるが、これらの行動が別のものでも構わないのではないか?例えば「信号が赤なら止まる」は現代社会では日常的な行動であるが、信号機が無い世界からすれば「そういう世界観の話」である。世界観を作るのはその世界での日常、常識、ルールであり、それらに従うことで「必然性」が保たれる。

学祭も終わりそろそろ次の演技について考えていこうと思うが、次回はこの「必然性」についてもう少し考えたものにしたい。道具を突然拾う、技をするために技をする、突然回る、動く、自分の技をやりたいのか普通の技がやりたいのか…「必然性」が様々な問題を解決する手助けになれば。

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