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「この10年間のプログラミングの変化」というnoteを書いたらプチ炎上した話

先日、「この10年間のプログラミングの変化」というnoteを書いた。文章を要約すると「C++というプログラミング言語を使うより、コンポーネント化が進んだpythonというプログラミング言語を使うといいよ♪」ということだ。大筋では好意的な反応をいただいたのですが、一部のユーザーからは否定的な反応をいただいた。今日はそれについてちょっと話していきたいと思う。

否定的な反応/指摘の多くは、実のところ大体あっている。「pythonがいい」という主張を全面的に正解とするのはあまりにも乱暴だ。それぞれの言語にはそれぞれの強み弱みが当然あり、pythonが適していない場面などいくらでもあげることができる。なので重ねていうが、指摘そのものは正しい。しかしそれはプログラミング上級者たちであるあなた達だから気がつける話なのだ。世の中は上級者よりも初級者や中級者のほうが圧倒的に多い。そして大体の場合、初中級者はC++よりもpython学んだほうが幸せになれる。

そもそもとして、書いた文章を読んでほしい。C++の読み方に振り仮名ついてるんだよ。誰が対象の読み手なのか少しだけ想像してくれるとうれしい。

私が愛用しているプログラミング言語はC++(シープラスプラス)と言って...

ダメなコードに乱暴な言葉を使ってもいいのか?

プログラミング界隈には、ダメなコードをクソコードと形容する文化が普通にあったりする。その理念はわかる。コードはコードだ。ダメなコードをダメと言わないといけない。プログラムはプログラマが書いたとおりにしか動かない。わずかなミスも決して許されない。それを許せば深刻なバグとして、後々まで我々を苦しめるからだ。

でも、本当にその言葉を人間相手に使わないといけないのか?プログラムに対してミスを許さない気持ちは正しい。でもその気持ちを直接人間相手にぶつけずに、もう少し優しい言葉を使ってみませんか?「初心者にいいかもしれないけど、上級者には物足りない文章だね」とか「ちょっとクールでないコードだよね」みたいな。


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