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自衛官が命令に従って撃ったら殺人罪?

日本は平和憲法の国です。時々、その憲法改正に関する議論も沸き上がりますが、日本人は総じて憲法改正に否定的のような気がします。それは「平和憲法」という理念の美しさ、それを護りたいという意識と関係しているのでしょう。

ところで、憲法というのは、そんなにも変わらないものなのでしょうか。実は、まったくそんなことはありません。下表は、自民党憲法改正推進本部に掲載されている資料にあるものです。

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戦後、アメリカでは6回、フランスでは27回、ドイツでは62回もの憲法改正が行われているのです。こうした状況の中、日本は一度も憲法を改正していないということになります。一般的に憲法改正までの手続きが難しく、ハードルが高いなどと言われることもありますが、実はそうでもありません。それにもかかわらず、日本では憲法改正が一度もなされずに今日まで至っているわけです。

これまで多くの日本人が、憲法改正に否定的だったのには、戦後の日本の教育や言論界による平和憲法護持の風潮があったように思われます。ある意味、憲法論議は聖域化されていたわけです。

ところで、今の憲法では何が問題なのか。一度、それくらい考えてもいい時期なのではないでしょうか。

例えば、今の憲法では、海外にいる日本人を救うことはできません。仮に朝鮮半島有事の場合、韓国にいる在外邦人を救助するために自衛隊を派遣するとします。しかし、それには韓国政府の同意が必要なのです。さらに現地では、警察などが秩序の維持に当たっており、かつ戦闘行為が行われることがないと認められることなどの条件が付けられています。有事下の混乱した状況の中で、自衛隊が在外邦人を救出するために動くことは、実際のところ不可能と言えるでしょう。

こんな話もあります。今、日本周辺の海域では、頻繁に中国の船が姿を現しています。尖閣諸島や大和堆などの問題が、まさにそれです。そこに登場する中国の船を公船といったり、漁船などといったりしますが、事実上の軍隊です。

つまり、日本は頻繁に中国軍による圧力を受けているわけです。こうした動きに対して、日本がとれる有効な手段が自衛隊による防衛です。しかし、ここにも憲法による障壁が立ちはだかります。仮に自衛隊による何らかの対応が取られた際、その行為を行った自衛官個人に罪が負わされる可能性があるのです。

国を守るため、あるいは海外での人道支援のために働く自衛官が命令で行った行為が「殺人罪」に問われかねない。しかも、その罪を裁くのは、必ずしも軍事的知識を備えているとはいえない裁判官だ。そんな不条理が存在する一因が憲法76条2項だ。
※産経ニュース「“素人”裁判 国防が「殺人罪」 一般法廷 軍事的知識なく…「これでは戦えない」」2017年8月22日より引用

つまり、自衛隊は軍隊ではないため、その行為を裁く軍事裁判もないわけです。自衛官が命令に従って銃を撃った場合、その結果については、一般の裁判で裁かれるほかなく、軍事知識を持たない裁判官により、殺人罪として裁かれることが十分ありうるということです。命を張って国を守ってくれる自衛官に対して、このような扱いをせざるを得ない日本が、本当に国土・国民を守ることができるでしょうか。

戦後日本は、侵略国家として裁かれ、その後もしばらくそうした烙印を押されたままの国家運営を強いられてきました。しかし今、私たちの身の回りを見渡してみると、隣国による侵略行為に遭っているような状況が、あちこちに見えているのです。少なくとも、私たちはその状況の変化について受け入れる必要があります。

「憲法改正せよ」というのではありません。ただ、無思考ではなく、考えてみる必要はあるのではないかと思うのです。

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