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FERASにみる現在の「おそれ」

サムネイルはTHE RAMPAGE from EXILE TRIBE公式ツイッターより引用


初めに

 本noteは8月26日にMVが解禁された、THE RAMPAGE from EXILE TRIBE(以下ランページ)の12thシングルFERASから好き放題に解釈を広げて、現在の「おそれ」に関連するものであると結論づけることを目的として書いた。
 その過程において個々の細かい設定まで解釈することは、筆者の知識と考察力の範囲を超えたため敢えて放棄したことを許されたい。なぜなら、筆者は巷で話題の天使禁猟区やTRUMPを履修していないからである。ちなみにグラデ便箋も、存在は知っているがそのルーツまではわからない。ホラー要素も筆者の苦手意識が高めなので、細かい設定と同様に敢えて言及を避けている。
 また、前々記事のBOT同様、今回も好き放題解釈した結果をせっかくだし自分も形にしておこう、思考の整理にもなるし!という筆者のノリと勢いが全てである。もちろんこのnoteは正解ではない、公式が正解である。ツイッターなどで様々な興味深い考察が飛び交う中で、もし本noteにも関心を抱いていただけたのであれば、筆者としては公開した甲斐もあるものだ。
 しかし、本noteにおいては人の死やコロナなどの現実問題についても触れるため、それらが苦手であるとか現在の状況にしんどさを抱えている場合は、一度ページを閉じて心の余裕がある時に読むことを勧めたい。反対に、心の余裕がある人はどうか目を通してほしい。

FERASとは

 さて、本noteの題材であるFERASとは、ランページのニューシングルである。8月29日から始まるオトナの土ドラシリーズ第29弾『恐怖新聞』主題歌で、CDの発売は9月30日予定だが、8月19日に先行配信がスタートし、21日にジャケ写が解禁され、26日にはMVが公開された。

 おわかりいただけただろうか?(心霊現象風)ひとまず語彙力を爆散させていただくと、とにかくいろいろすごいのである。地下、鎖に繋がれた彼ら、冠、心臓、羽、白化したサンゴか枯れ木、フェンス、ライティング、メイク……挙げればキリがないほど意味深な演出の数々に、視聴者は妄想力を刺激されまくった。ある者は天使と悪魔を、ある者は研究者とその手から生み出された禁断の作品を、ある者はいわれのない罪によって監禁された王と奪還を連想したのであった……
 というように界隈に波紋を広げまくっているFEARS、公式によるとタイトルが意味するところは見えない存在への恐怖である。そこでGoogleで訳を検索してみると、fearというワードそのものには恐怖だけでなく、畏怖や危惧など様々なニュアンスの「おそれ」が含意されていることがわかった。そしてタイトルが複数形であることは、解釈の根拠となり得る。以下の項目は、その「おそれ」の例を捏ねくりまわしたものである。

酸素がなければ人は死ぬ

 文字通り、酸素がなければ人は死ぬ。メカニズムの説明はキャパオーバーしたので省かせていただくとして。ともあれ、したがって植物など生きた自然がなくコンクリートで囲まれ閉塞した地下や、ボンベを持たない潜水、絞首など酸素がない空間あるいは呼吸ができないような状況に陥ったとき、人は死ぬ「おそれ」を抱くだろう。

火と歌は酸素を消費する

 人が生きるためには酸素が必要であるように、物を燃やすにも酸素が必要である。例えば理科の実験に、蝋燭にコップを被せてしばらくすると火が消えるというものがある。空気には酸素と窒素と二酸化炭素が含まれているが、これはコップの中に閉じ込められた空気のうち、燃料となり得る酸素を使い切ってしまったことで起きる現象だ。ちなみにこのとき窒素の量は変わらないが、酸素が減る代わりに二酸化炭素が増える。
 歌も同じことで、胸式呼吸にしても腹式呼吸にしてもただ呼吸をするより多くの空気の出し入れが行われ、ダンスについても同じことが言えるだろう。つまりエネルギーとして酸素を消費するわけだが、これをコップの中の蝋燭に置き換えたとき、そもそも空気の震えによって伝わる音が外に伝わることすらないのだが、やがて酸素が尽きて歌うことができなくなる
 歌を歌ったりダンスをしたりという表現者がこの状況に陥ったとき、表現によって他者に思いを届けるというアイデンティティを失う「おそれ」を抱くだろう。

臭いものにはふたをする

 これは都合の悪いことや醜聞が他に漏れないように、一時しのぎで隠すことのたとえを表したことわざである。いわば蓋をする側にも、何かを臭いものと感じるというその何かに対する「おそれ」が存在する。つまり酸素のみならず、生きるために必要な何かを奪う可能性のある存在を、人は「おそれ」封じ込めようとするだろう。
 しかし臭いもの、蓋をする側の「おそれ」によって封じ込められる側にも、前項で述べたような「おそれ」を抱いている可能性もあるのではないだろうか。

様々な方法で拘束された彼ら

 ここでようやくMVに立ち返る。ランページは3人のボーカルと13人のパフォーマーで構成されているが、その一部は鎖で拘束されている。
 鎖を使われていないメンバーも、何かしら抵抗を感じる眼差しをカメラに向けているため、概念として拘束されていると本noteでは解釈する。その中で例えば、川村壱馬さんは地下っぽくてフェンスに囲まれており首枷に四方八方から鎖が伸びている状況、吉野北人さんは白化したサンゴか枯れ木に囲まれた退廃的な状況、RIKUさんは海に廃棄されたようなテレビが模る十字架とそこから伸びる鎖に手足を繋がれている状況である。
 ふとここで思ったのだが、今回のシームレスな演出は鎖で繋がれているがゆえに各々の動きが連動していることを表しているのでは、というのはメモ程度に留めるとして。
 ではなぜ、彼らは拘束されているのか、もがいているのか。これまで挙げた例を参考に、私たちが生きる世界における現在の「おそれ」と関連付けていきたい。

現在の「おそれ」

 筆頭に挙げられるのは、やはりコロナ禍だろう。コロナは感染することそのものの「おそれ」だけでなく、感染拡大による医療崩壊の「おそれ」、経済的な「おそれ」など人々に様々な「おそれ」を与えている。時には、それぞれの「おそれ」がいがみ合っている。しかしどの「おそれ」もコロナによって理不尽にもたらされたものであり、石を投げるように具体化さえしなければ、致し方なく理には適っている。
 ただ、自分と異なる思想や価値観に対する「おそれ」は、ある程度の好き嫌いは仕方なく多様性があるにしても、棲み分けることができるならするにしても、世界平和という観点において和らげるべきであると私は考える。なぜならただ一方にとってばかり臭いものに蓋をしたとき、蓋をされた側は死に至る可能性もあるからだ。
 MVに登場する彼らは、羽が生えていたり心臓を抜かれてもなお動いていたりなど、人ならざる者の印象を視聴者に与え、曲調と相まって「おそれ」を抱かせる。そして彼らは理不尽に拘束されているからこそ、光を求めてもがいている。
 繰り返すようだが、具現化さえしなければいい。しかし、コロナ禍における夜の街というワードがわかりやすいように、他にも様々な差別やいじめが蔓延る中で、自分と異なる思想や価値観に対する「おそれ」の、自らが抱くそれに気づきもしないことのなんとおそろしいことか。
 誰もがただ自分を信じて、自分らしく生きたいだけであるというのに。

終わりに

 以上に基づき、本noteではFEARSを恐れ、怖れ、惧れ、畏れなどといった現在の「おそれ」に関連するものであると結論づける。
 この先も見えない不安が存在し続ける限り、私たちから「おそれ」がなくなることはない。しかしその中で誰もが迷いながら、足掻きながら、今を生き抜こうとしているのだろう。

 以上が解釈である。楽曲に彼らが込めたように、いろんなことに負けない思いで、光を信じ求めて岩壁を砕くように本noteを書いた。その過程において、MVを見返すたびにものすごいエネルギーを消費したので、やはりFEARSにおける彼らはヴァンパイアか何かなのかもしれない。

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 読者の皆様へ、最後まで読んでくださりありがとうございます。少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。また日頃より多種多様な創作物を上げてくださる皆様、様々なFAを楽しく拝見させていただいております。ランページとランページが届けてくれるコンテンツをより好きになるひと時を、いつも本当にありがとうございます。
 そして締めになりましたが、FEARSを構成するランページのメンバー、並びに楽曲に携わる全てのスタッフの皆様に心からの御礼を申し上げます。情報量がすごくて半日寝込みました。


各位に敬意と感謝をこめて 2020年8月27日