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I've had enough!!

学生生活や集団生活から離れて暮らし

これでいい…。やっと落ち着きを取り戻したんだ。僕の楽園、安息の地なんだと言い聞かせてきたけど、その代償で得たものは、つまらない退屈な日常だった。

何かを最初から諦めた人、変わろうとしない者、現状維持にばかり目がいってしまう人... etc.

リスクを取らなくなると、そんな人たちばかりに囲まれてしまう。
成長もなく、誰も正しくない、甘ったれた関係性

孤立したがる者も現れて、絆が深まらず離れ離れになってしまった。

これはまずい

その直感が唯一、いまの自分を保っている理性のようなものだ。
安心して愛を感じるものは、映画の中やNetflixの中でしか触れることができない。

それはそれで満足しているが、一向に変化を見せない現実に辟易してしまっている。

もう答えは分かっている。自分が行動するしかない。それでしか解決しない。
また群れに戻るのだ。集団生活の中に生きる道があるのだ。それをしないと残念ながら稼ぎもない。

しかしまた直感がささやく

それでいいのか?他に方法はないか?と。
これでは、また同じことの繰り返しではないか。
逃げたくなったり、辛かったり、傷ついたり…。もう懲りたのではないか?

いいや、それはもう遥か昔のこと。5年以上も前の自分の姿だ。

なーーーーーーーんて、ごちゃごちゃ考えるのは子供の頃からの癖で
「いいから、やれよ」と心の中のシュワちゃん(玄田哲章)に言われる。

でも、旅の前に、その過程に…...、記録させてくれ!
落ち着けるアウトプットの場をください。
とも思うのだ。都合よく「話しを聞く耳」を持つ賢者は現れないからね。

ここで何かを宣言すれば、
「前にこんなこと言ってたけど、続けてるの?やってるの?できたの??」みたいに、理解のあるフリをした下世話なヤツ、もしくは憎まれ口を叩くヤツが現れるので、書かない。自分を棚に上げすぎである。

そういう人間は本人に問題があるのだ。距離を置くのがいちばん。

自分との約束なので、そこに他人が入る余地はないのだ。
それがたとえ友達や家族だろうとも。

最近読んだ本に「能力は私有物ではない」と書かれていた。
必ず生じる能力の高低差を互いに補いあう、共有することで社会は動いているのだと。

こうも書かれていた。
いま居る場所で能力が共有できず、調整することもままならないなら
より共有しやすい場所へ移ればいいのだと。

これが何かのきっかけになればいいなと他人事のように思う。
書いた時点では多少スッキリしているので、気持ちを切り替えれそうだ。


P.S.
すごく久しぶりに個人的なことを書いた気がする。はけ口のような。
でも本来は、この使い方が性に合っている。

何かを紹介したり、解説したりするのには時間もパワーもいるので、書く前にやめてしまうことが多い。

ぼくにとって集団の生活というのは、子供のころからの体験が重なって、もはやPTSDのようである。

思い出すたびに、キュッと胸が苦しくなるし、「それが当たり前だ」というような顔をした"大人"を見るたびに、げんなりとしてしまう。

わずかにでも、自分が改善すること、進展や成長を夢見る人にこそ惹きつけられる。

その第六感みたいなものを信じるしかないなーと思ったことを、ざっくりふり返ったものが、今回の記事なんでしょうね。

文章からは「湧き上がる気力のイメージ」を感じないかもしれないけど、ぼくにとってこれは久しぶりにブログを書いてて楽しく、落ち着ける時間でした。

さて、次は何を書こうかな

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アリガトゴザイマス
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ISSEY

道民、平成生まれ20代フリーター。映画と音楽、ドラマ、ネット番組、たまに本の話しやテレビについて書いたりします。

つぶやくには長すぎて

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