森達也監督の演説を書き起こして、思うこと。

街頭での森達也監督の演説、一部書き起こしてみました。

オウムの地下鉄サリン事件以降、24年経ちました。この国はある方向に向かっています。どんな方向か?

集団化です。

不安と恐怖を刺激されて、
みんなでまとまろうという気持ちがとても強くなった。

集団は、集団の中で異質なものを探したくなります。

なぜならば、それを探したときに、自分たちは多数派になれるんです。
だからマイノリティを探す。探してこれを排除しようとする。

こうしてヘイトスピーチが起きます。

集団は、集団の外に敵を探したくなります。
なぜなら、敵を探したときに自分たちは、より強く連帯できるから。

だから、オウムの事件以前であればもっと仲良かったはずの隣国がどんどん敵になってきた。危険な存在になってきた。

集団は、みんなで一緒に動きます。
水族館でイワシの群れ見たことありますよね。

ひとつの生き物のように動く。
つまり同調圧力、強くなるんです。

なぜならば、その中でみんなと同じように動かないと、
自分が異物になってしまう。

だから、必死に周りと同じように動く。

イワシ、ムクドリ、スズメは本能が発達してますから、
本能が残ってますから、感覚的に動きを察知します。

人間はもう本能退化しました。
代わりに言葉がある。

つまり、集団化が進むと人は言葉を求めます。
どんな言葉か?

リーダーの言葉です。
つまり、号令。
ようするに、強いリーダーが欲しくなる。

前へ進め、右向け右
そうしたような指示が欲しくなる。

このときに指示が聞こえないとどうするか?
指示を自分たちで作っちゃいます。

つまり、これが忖度です。

なぜこれほどまでに、忖度や同調圧力が強くなったという風に、
みんなが思ってるのか?集団化が進んでいるからです。

これはもはや、いま日本だけの現象ではない。
911の後の世界、テロというキーワードを燃料にして、

世界中で集団化が起きています。

だから、より強いリーダーが欲しくなる。
トランプだったり、プーチンだったり、習近平だったり、ドゥテルテだったり…

かつてであれば独裁的な政治家の支持率がどんどん上がる。
かつてのブッシュもそうですしね。

で、日本もその例外じゃないです。
独裁的に強いことをとにかく上辺だけは言う。

そうした政治家がもてはやされる、支持される。
みんなが忖度する、同調圧力が強くなる、組織の求心力が強くなる。

さきほど、ちらっと耳にしました。
警察官たちが、デモ隊かな?ごぼう抜きにしてるときに人間の顔をしていなかった。組織の人間なんです。一人称単数の主語を失ってしまう。

そうしたときに、人は大きな過ちを犯します。
なぜか?集団は暴走するんです。

周りがみんな同じように動くから、暴走してるかどうかも分からなくなる。

で、集団は失敗します。

断崖絶壁から落ちるかもしれない。壁にぶつかるかもしれない。
人類はこの歴史をずっと繰り返しています。

集団化の失敗なんです。

どうやったら繰り返さずに済むか?

歴史認識です。
過去の失敗をしっかり噛みしめること。

ところが、いまこの国は、この国の政権も含めて、歴史認識をきちんと見ようとしない。振り返ろうとしない。過ちを認めない。

その結果として暴走がどんどん激しくなる。

この24年間、そうした状況がずっと加速してきました。

このあとにも演説は続きますが、重要かなと思ったのはこの辺まで。
結論は各々じっくり考えてほしい。もちろん森監督は、この演説である種の結論にたどり着いてるので、気になる方はチェックしてみるといいと思います。

先日の京アニ放火事件をはじめ、今日の午後に開かれた宮迫博之さん、田村亮さんの一連の報道に対する会見、どれも非常にこの時代の歪みが現れているように思っています。

おそらく今までの体制を持つ組織は、個人を大事にしないでしょう。
そして、輪の中から外された者は、いずれ集団に復讐する可能性がある。

そのきっかけは誰にも予想できないことが明らかになりました。

僕が恐れているのは、個人が社会や集団から受けた痛みや苦しい体験を認めてもらうことがないまま、終わってしまい、無いことにされてしまうこと。

自分が何者であるか?というアイデンティティが破壊されるようなこと。

それに伴う思考停止と無力感。これが、何事にも向き合うことができなくなってしまう、無気力の原因になるのではないかという不安です。

集団化した人間が、違和感に気づき、何かを表現しようとする個人を糾弾する。それによって、あるべき恩恵が受けられなくなり、文化が廃れてしまうことが、現実に少しずつ起こってきているように思います。

コミュニティ内で、お互いにけなし合うムードが高まって、集団化、全体化が加速し、より個人の意見が優先されない。声が埋もれてしまう社会になるのではないかと思ってしまいます。

ほんの小さな日常にすら、集団化の恐怖を感じるこの頃なので、森監督の言葉は今後を考える上で欠かせないテーマになっているように思いました。

ぜひとも、何か考えるきっかけに役立てばいいなと願っています。

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アリガトゴザイマス
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ISSEY

道民、平成生まれ20代フリーター。映画と音楽、ドラマ、ネット番組、たまに本の話しやテレビについて書いたりします。

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