二話 フランソワ喫茶室 手紙の娘

 ほっておけばいいと思っていた。何ができるでもなし、まして見世物にするなど冒涜《ぼうとく》だと思い込んでいた。
 女の嘆く姿を絵に残したところで、当人の涙は乾かない。
 抒情画家だった祖父。小林かいちを軽蔑《けいべつ》すらしていた。
 私は愚かな潔癖《けつぺき》だった。
 今夜、訪れた店は烏羽色《からすばいろ》のテーブルと椅子が整然と並ぶフランソワ喫茶室。椅子の座面と背凭《せもた》れは深緋《こきひ》の革張りで仕立てられている。
 私に抒情巡りを決意させた店。
 頼んだコーヒーを待って、角の席に目を向けると、灰青の娘は変わらず手紙を書いていた。浴衣の袖先は卵《たまご》色《いろ》をしている。ペンを持つ、細く長く柔らかそうな手を、この店は気に入ったのだろう。店内の控えめな灯りと同じ色だ。
 手紙の娘を視てから十四年。私は歳を重ねたが、娘はペンを握ったままで、手紙には涙の跡がある。しかし文面に後悔はない。恐れながらも逃げはせず、貴方を好きだと書いている。
 当時の私は二十六歳。それまでも各所で店に残る記憶を視ていた。興味はなかった。誰が泣こうが嘆こうが、とうに過ぎ去っている出来事で、関わる気はまるでなかった。反発もあったと思う。名を残した祖父と何者でもない自分を認めたくなかった。
 それなのに動く気になったのは、同世代の娘が前へ踏み出してたからだ。
 いや違う。娘の勇気だけが理由じゃない。駄目だな。十年経っても言い訳がましいのは抜け切らない。私には感心よりも先の想いがあった。惚《ほ》れたのだ。彼女に魅了された。私もまた彼女のように恋をした。彼女を知りたくて、店員に捲《まく》し立てた。ペンを握る手の綺麗なあの人はいつの誰で泣いていたのはどうしてでそれからどうなったのか。無様《ぶざま》だったと思う。怪しかったと思う。危ない奴とも思われたろう。
――ようやく本物の好意を知ったか。
 丸眼鏡の店員はからりと笑って、知る限りを教えてくれた。彼は私の能力を知る数少ない友人でもあった。
――その人は常連さんだな。店の一周年辺りで通っていたそうだ。うちの創業が昭和九年だから昭和十年だな。手紙の相手は最後までわからなかったと言ってたよ。初代のじいさんも惚れた弱みで詳しく聞けなかったんだろうな。ん?そうだよ。手紙の娘は俺のばあちゃんだ。
 膝から崩れた思い出も今は懐かしい。失恋した私に友人はコーヒーを奢《おご》ってくれた。若い私は落ち込んで、落ち込んで、もう一度、角の席を視た。
 娘は手紙を書き終えていた。涙を拭いて、立ち上がった。そして消えた。
 おかわりをしても、視える記憶は繰り返されるだけだった。手紙を書いて、涙を拭《ぬぐ》って、立ち上がる。店は娘の闘いの一瞬のみを残していた。
 私は二杯目のコーヒーを冷ましたまま、店の角を見つめて動かなかった。
 やっとわかったのだ。ようやく気づけた。
 店も小林かいちも同じ。残したかったのだ。
 我々に哀しむ人の涙は拭えない。宥《なだ》めもできない。けれども視る。胸を打たれる。活きているのを確かめる。
 見世物にして冷やかす気などありはしない。ただ、誰かの活きた証《あかし》を視たのだと、それは己の活きた証でもあると示したかった。
 私は綴るのを決意した。手紙の娘のように前に進もうと決めた。私達は活きたい。生きている。
 そうして、抒情を追いかけて十四年。今夜も温かいカップを傾ける。
 タイミングを合わせて、コーヒーを飲み干すと、立ち上がった娘は消えた。
 フランソワ喫茶室は定期的に訪れるので、手紙の娘の動きは覚えてしまった。
「美味《おい》しかったよ」
 丸眼鏡の三代目店主に声をかけると、本物だからなと笑い返してくれた。

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