2019年06月23日_150_

京都大原 マリアの心臓

 気さくな主人の深淵を覗いた気がした。
 どこにでもありそうな日本家屋の中は、玄関から座敷、屋根裏に至るまでヒトカタ、ヒトカタ、人の形が展覧されていた。みっしりと濃厚に在している。
 ともすれば床下にまでと考える。板を剥がした先の湿った土に並べられているのではないか。ぞんざいではなく、そっと寝かしつけられている。
 妄想をふり払い数えてみた。十体、三十体、五十体……椅子に座っていた童子は何体だったか。鏡に映っていた遊女は数えたか。ガラス棚のフランス人形は、縁側に佇んでいるのは、床の間で囲まれたのは何人だった。あぁ、単位が違う。人ではない。
 両肩が強ばる。声を出す気がなくなる。眺める、眺める。
 眺められている。
 裸電球の加減だ。ガラス玉の絶妙な反射だ。展示の手腕のなせる技だ。
 屋根裏に登り、跪いて太い梁を潜る。顔の横で少女の球体人形が横になっている。潜り抜けて、仰いだ先に妖精が浮いている。
 おどろおどろしくも美しい空間だった。そこに掴み切れない舞があった。蝶のようにふわり、するりとこちらを翳める。
 屋敷を出て、庭先の一体を最後に眺めた。胸に穴が空いている。
 あぁ、そうか。
 私は蝶を摘んだ。
 心、非ず。
 摘んだ指を広げると、悲しみは屋敷マリアの心臓に戻っていった。

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