思い出す言葉

 なんとなく悲しい気持ちが続くので、昨年の今頃は何かあっただろうかと振り返る。そんな事をしても意味がないのは知っているし、もし意味があったとしても対処法なんてないだろうなと思いながら、淹れたての紅茶をティーカップに注ぐ。

 ああまあいいやという気持ちは、投げやりだったものから別の物になりつつあって。けれどもなあという変な諦めと、そうできない何かが心の臓辺りに引っかかるのでその引っ掛かりを抜いてしまいところだ。その何かが分からない限りは引っかかったままだろうし、抜いたとしてもどうせ別の何かが引っかかるのでそのままでもいい気がした。

「最低限の敬意をはらえない奴や配慮もできない奴ほど、そういうものを自分に対しては行うべきだと思いがちだ。他人にできない事を自分にしろという奴には、無理にそうせんでいい。お前がすり減って傷付くだけだ」

 健康だった頃にそう言った祖父は昨年の冬、病室で亡くなった。その当時、僕は代休で会社を休んでいて母親から「お祖父ちゃんの容体に関して病院から連絡が来たの。今ちょっと仕事で出られないから、先に病院に行ってくれる? お父さんには連絡したから」と電話があって祖父の元へ向かった。

そして病室に着くと主治医がいて亡くなった時間を告げられ、とりあえず父親が来るまでは一人病院の廊下に待機をしていた。病院の雰囲気というのは院内に表れる気がして、晴れているのに暗く感じたけれども、祖父の事が大好きだった僕はその雰囲気よりも、一人で両親を待たなければいけない事がとても辛かった。

 待っている間、鞄に入れているウォークマンを取り出して音楽を聴くのはなんだかいけない気がしたのもあって、とりあえず手帳を取り出し亡くなった時間を記入した。その後父が来て葬儀の手配などがあり――何故今祖父の事を思い出すのだろうかと思ったけれども、そういうすり減るような事があったからだ。

 ああ、危うく祖父のその言葉を忘れるところだったなと思いながら終わりいく二月に目を閉じるのだった。

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