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こどもの日と言えば

五月五日のこどもの日。天気が良かったので何となく車を走らせて出かけたのですが、お子さんやお孫さんを連れて仲良く歩くご家族ばかりであったので、その時にようやく今日がこどもの日である事を思い出しました。

もっと言えば、お店の季節コーナーに柏餅がずらりと並んでいる所でなんですけどね。「ああ、今日、こどもの日か~」なんて思いながら、こしあんとみそあんの柏餅を購入。祖父母の仏壇にも供えてから、母と一緒に美味しく頂きました。

働くようになってから「休日は楽しむもの」というよりも「身体を休めるもの」という側面が強くなってきた気がします。そうしている内に、自分の中で季節や行事を楽しむという気持ちが薄れつつある事に気が付きました。

元々自分は観光業で働いていたので、季節は感じられても、行事を楽しむ余裕はありませんでした。なのでこうして、ゴールデンウィークなどに出歩くと何とも言えない不思議な気持ちになります。あとめっちゃ道混んでる。すごい。

出歩いていてもう一つ気が付いたのは、昔は良く見たこいのぼりをあまり見かけなくなった事。青空の海を悠々と泳ぐあの大きなこいのぼり。たてるのが大変だからかなぁとか、お子さんが大人になったからかなぁとか、子供の頃にこいのぼりを見た場所を通って思いました。

そこでふと、自分がこいのぼりを見るのが好きだった事に気が付きました。昔は「わー、こいのぼりだー」と見上げて思っていたくらいで、好きとか嫌いとか、そう言った感情について考える事はありませんでした。失ってから気付くものとは、なるほど、こういう事か。

自分が何を好きだとか興味があるとかそういうのは、触れたその時ではなくて意外と後から知ります。本や映画、ゲームや遊び、強烈な印象を受けて「好きだ!」と思うものは直ぐに分かりますが、そうでない部分――自然体で「好きだ」と感じるものは、時間が経ってから「あ、これ好きだったんだ」という気付くんですよ。ふんわりとした「好きだなぁ」という感情が、ゆっくり蓄積されてやがて発現する感じ。

それでちょっと変な話になりますが、私、粉が好きなんだなって気付いたんです。上新粉とか、道明寺粉とか。使うというより、触れて、棚に並べて、眺めたい。コレクションしたいというんじゃなくて、ただそこに在って欲しい。……この言い方だとまるで「恋」でもしているようですが、まぁ、好きの到達点の一つが恋なので、この感覚はその親戚のようなものなのでしょう。使わないと勿体ないので、今のところは手を伸ばそうとしては引っ込めているんですけどね。

話は戻りますが、こういう「好き」なものに、後から気がつけるのは楽しいなぁと思ったんですよ。少し前まで、自分が好きなものや得意なものを数えて「これしかないんだなぁ……」って、興味の狭さに軽くショックを受けていたんですが。でもそれは気付いていないだけで「好き」や「興味がある」ものって、もしかしたら結構たくさんあるかもしれない。それってとてもワクワクする事だなって。

そんな事を、ふっと実感した一日でした。柏餅美味しい。



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