「ツインソウル」はロマンチックなものではない

「ツインソウル」というものが、世の人々にとってはロマンチックなものに映るようだ。
そのためか、「私はツインソウルと出会いました」といった体験談を語る人々は、ロマンチックな関係であることを披露しているように見受けられる。

その1例を紹介しよう。

「ツインソウル」から学ぶこと。|田宮陽子 晴れになっても 雨になっても 光あふれる女性でいよう!

ツインソウルに出逢った人のほとんどはこう言います。

「私とすごく似ている部分がある。

でも、私と、
まったく似ていない部分もある!!!」

それは「ツインソウル」ではなくとも当たり前である。

私たちの魂を
劇的に成長させてくれる
かけがえのないパートナー。

「ツインソウル」とは本来、パートナーになるために出会うものではない。
理論的にはひとつの魂が同時代に別の人間として生きることによって、体験を2倍にすることが目的でふたつに分かれる。ふたつに分かれた魂がわざわざ出会うということは、自分を見つめ直すということ以外に理由はない。

見つめ直す時間は最小限に抑えられる。なぜなら、いつまでも自分自身を眺めていても、成長に貢献するとは限らないからだ。
いうなれば「成長できているかどうかの再確認」でしかない。
「自分が正しいと思い込んでいるものが本当に正しいのか」とか、「自信があると思っている部分は本当に有効なものなのか」といった、自分の目で客観的に見た時にどう思うのかという作業である。

それ以外に意味はない。

もし実際にパートナーとなるべく出会ったとしたら、どのようなことが起きるかということは、心理学で解明されている理論で説明が可能だ。

もし、あなたと同じ性格の人間がもうひとり現れたら、どうなるか。

それはもう大喧嘩である。まったくもって愛せない。
人は「自分と同じ欠点をもつものを嫌悪するもの」だからだ。

そのよい例が一卵性双生児である。
彼らは必ず「ツインソウル」だからだ。
DNA鑑定においても同一人物とされる。

一卵性双生児は自我の発達段階で反発し合う時期がある。
「自分は自分だ」という自我の目覚めから、「比べられたくない」という願望が生まれる。
すると「お互いに嫌悪する」という現象が起き、距離を置くようになる。

しかし、現実に彼らは双子であり、赤の他人として生きることはできない。
やはて現実を受け入れて、双子として生きていくと決意すると、極端に仲良くなる。
お互いに依存し合い、助け合う。

次に社会生活の中で、ひとりの人間として自立しなければならない。
その段階になって、それぞれのプライバシーが尊重されるようになる。
自分は自分、相手は相手として、それぞれの道を歩むようになる。

ここで重要なのは「双子なら、肉親であるから、縁を切れない」ということである。親も共通であり、法的にも縁は切れない。
しかし、赤の他人として生まれた「ツインソウル」の場合は、「お互いに嫌悪する」という段階において、耐え切れなくなり縁を切ってしまう。
親友なら友情が破綻し、恋愛なら別れてしまう。結婚に至ることすらできない。

なぜ「ツインソウルが出会えば、真実の愛に触れる」といったロマンチックな認識が誤って広まってしまったか。
その原因は越智啓子という精神科医がスピリチュアル・ブームに便乗して憶測で書いた「ツインソウル─「魂の双子」にめぐり逢うために」という書籍の影響が大きかったと思われる。

文学作品として割り切って書いたものであったとしても、誤った認識が広まることは大きな弊害があるばかりでなく、悪影響を考えると罪が大きい。
たとえばジョン・レノンと結婚したオノ・ヨーコが、ジョン・レノンの性的な社会運動に従順に参加したことから「やはり日本人女性は男に尽くす理想の女だ」といった印象を与え、それに便乗してなにか憶測で小説を書かれた場合、小説の描写で過剰に演出された「従順で男に逆らわない女性像」を描かれてしまうと、実際の日本人女性が外国人と交際するたびに「普通の女であって従順ではない」といわれ落胆されるようでは迷惑なばかりではなく、取り返しのつかないことが世界中で起きてしまうことになる。

現実を見ない読者が悪いとしても、「ツインソウル」といった特別な言葉で表現された特別な「運命の人」がこの世のどこかにいると誤解されることは、本当の意味での「運命の人」を見誤る原因になり得る。

嘘に惑わされないでほしい。現実は甘くないが、目を背けてもいけないのだ。

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ISVARA

真理

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