四月は君の嘘をみて。

こんばんは。絲蒟蒻です。

何度でもハマれる、好きになれる、感動できる。こんな作品に出逢えたことに、感謝です。
なんて美しい、かけがえのない人生の物語だろう。
人は人らしく、生きて良いのだと教えてくれる。音楽は素敵だと教えてくれる。
有馬公生の物語。この神童の物語に、共感するなんて畏れ多い。
だけど、共感せざるを得ない。
ピアノと共に、ある。母親の記憶。影。音楽と共に。
走り続ける辛さ、もう一歩踏み出したいとき。舞台で演奏するとき。
母が見えた。そんな気がしていただけだろう。だけど、確かに居た。
朝日が怖かった。母を連れ去ったあの日の、あの美しい朝焼け。
朝日を見るのが、朝日と対面するのが、怖かった。
ピアノが好きだ。音楽が好きだ。歌が、譜面が、好き。
なのに、好きになれなかった。ピアノを教える時の母は厳しく、母ではなく師の表情をしていた。
音楽と、ピアノと、もっと違った出会い方をしていたら。
もっと違う思い出をつくれていたら、今はもっと違えたのかな。
なんて思うけど。この長い長い人生、何度だって出逢い直せる。
今の自分で、もう一度出会うことに意味がある。意味は、きっとある。
選択するか、しないかのどちらかだ。
こうやって綴る言葉にも、いつか何かの意味が生まれたら嬉しいな。

このお話で、私が好きなキャラクターがいる。たくさんいるけど、
特に、好きなふたり。相座武士と井川絵見。
彼らは、有馬公生を2年間待ち続けていた。
ここ最近、年相応の物語、大人の恋愛物語なんかをよく見ていて、
「2年」という歳月が、ぱっと見短く感じた。2年かあ…と。
でも、彼らは14歳なんだ。彼らの1年は激動で、とても長い。
たった1年で、信じられない程、成長する。
何故、人は老いると1日1日を疎かにするようになってしまうのだろう。
生きている時間のかけがえのなさに変わりはないのに。
毎日にどきどきわくわくして、明日を待ち焦がれて、子ども達は生きている。未来に期待している。

私も、生きている。
残された人生、残された時間。時間は目に見えない。感じることも、いつも出来るわけじゃない。
子どもには未来があるのに、私たち大人には未来がないなんて、誰が決めたのか。たぶん、自分だ。
自分が決めたことなら、未熟な自分の言葉なら、否定してやればいい。
自分の手で塗り替えてやれば良い。
生命を削って、生きること。残された時間、今、手の中にあるこの時間を、感じること。見えなくても、感じることは出来るはず。
精一杯、生きてやろう。

私は、人が死ぬということを知っている。
私は、死体の冷たさを知っている。
生きるあたたかさを知っている。
今からでも、生きられる。何度でも、生きることを選択する。
私は今、紛れもなく、生きている。

「生」と出逢える。そんな作品。
音楽と出逢えたことに感謝させてくれる、そんな作品。

人の冷酷さを知るから、あたたかさと出逢える。
音楽の怖さを知るから、美しさが見えてくる。
言葉は残酷だけど、強い。

音楽は、自由だ。


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