池袋・高齢者暴走事故の遺族会見と“私”の現実を読んで

当事者ではない私たちだからこそ、冷静にこの事故を見つめることができると思います。それなのに、SNS上でバッシングが繰り返されていて、一方で、本来冷静でいられないはずの当事者が冷静な会見をされたことに、私は強い違和感を覚えました。
『「老いる」ことをもっともっと「現実的」に考える必要がある』についてですが、筆者のいいたい、現実とは何なのか読み取れませんでした。
私は両親の介護を子供のころからしてきました。最近、両親は認知症と思われる症状も出てきて私は生きていくことさえ困難です。しかし、その困難さは私の現実であって、みなさんの現実とは異なることでしょう。
筆者の考える現実的に考えるとは、自分が体験しなければ、現実的に考えることは困難だと思います。まして、格差社会が広がり、多くの人が余裕を持てず、自分や家族だけで精一杯なった時代では、自分とは関係のない老いを理解し、社会問題を解決するためにはどうすればよいか、自発的に思い巡らせることなど難しいでしょう。むしろ、そうした話題をネタに、SNSで盛り上がり、ガス抜きにさえ使っているようにも思います。
超高齢化社会には、どんな問題があり、その要因は何か、それを冷静に正しく観察できなければ、問題に対応できないと思われます。現に対応できなくなっていると思います。

ただし、高齢者の事故は本当に増えているのか?という問いは、交通事故減少の原因究明のためにも必要だと私は思います。
今回の事故を考えるうえでも高齢による要因が大きかったのでしょうか。高齢による要因が大きかったにしても、それは認知機能の低下なのか、それとも身体的な問題だったのか。または、本当に車両による要因はなかったのか。プリウスやアクアに乗ったこともありますが、ブレーキを踏んでもガソリン車のディスクブレーキのように、一定の減速にならないため、減速率が変わったことを加速と感じることがあると思います。認知機能の衰えがあったのなら、パニックになっても不思議に思いません。車両として問題なくても、人に優しくない設計になっているのではという観点から考える必要があるのではと思います。
また、「それぞれのご家庭で事情があることは重々承知しておりますが、」という言葉は、「老いる」ことだけではないと私は感じました。「現実的に感じていただければ、運転に不安があることを自覚した上での運転や飲酒運転、あおり運転、運転中の携帯電話の使用などの危険運転をしそうになったとき、亡くなった2人を思い出し、思いとどまってくれるかもしれない。」という会見の内容からも、高齢者ドライバーにとどまらず、ドライバー全てに対する訴えだったと私は感じました。今後よりいっそう安全運転に気を配ろうと思いました。

キャッテルやホーンは、知能を流動性知能と結晶性知能とに分けましたが、そもそも知能は多くの心的因子の集まりという考えからなりたっています。
たしかに、ソルトハウス(2004)の研究結果のように、知能の中でも語彙の能力は高齢になっても高く維持されるという結果もあります(この研究結果は新聞広告から集まった人だから語彙力が高く維持された、つまりサンプリングミスとの批判もあります。)。しかし、高ければ必ず良いかというとそうではないという研究結果を見聞きしたことがあります

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?