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「いまのちょっと面白い」の「ちょっと」は必要か?

ここ数年、誰かが気の利いた発言をしたとき、

「いまのちょっと面白い」とか言ってしまう人を目にするようになった。

「いまの面白い」ではいけないのだろうか?

「ちょっと」というワードが加えられたことで、「『面白い』といえるレベルには満たないけど」というニュアンスが発生してしまう。

これでは発言した側も、褒められているはずなのに両手放しで喜ぶことができず、下手をすれば落ち込んでしまう。
どうすれば「ちょっと」ではない面白い発言になったのだろうと、反省してしまう場合さえあるだろう。

はっきり言おう。
「ちょっと面白い」という言葉は、誰のことも幸せにしないのである。

褒められた側が喜べない褒め言葉などには何の価値もないし、きちんと褒めるのであれば「面白い」だけでいいはずなのだ。どうしても何かを足したいのであれば「めちゃくちゃ」を使うほうが喜ぶくらいのことはわかるはずだ。

ではなぜ、わざわざ「ちょっと」を加えてしまう人がいるのだろうか?

その心理について考察してみれば、答えはすぐに見つかる。

相手の発言が自分の感性の中枢には届いていないと暗に示すことで、くだらないプライドを守っているのだ。

「君にしてはよくがんばったとは思うけれども、その程度で『面白い』の評価をあげるような私ではない」という意味を含ませることで、発言者よりも優れた立場にいることをアピールしたいのだ。

自分が上である、あるいはあろうとする気持ちが、「ちょっと」という魔物を生み出すのに違いない。

おそらく、「今後に期待を込めて、星一つマイナスで」などという、わけのわからない論理をもってして、頑なに五つ星をつけないレビュワーに近い感覚の持ち主なのだろう。

もしも自分が料理を振る舞い、それを食べた相手に「これ、ちょっとおいしい」と言われたらどう感じるか、

一生懸命マッサージした相手に「それ、ちょっと気持ちいい」と言われたらどう感じるか、

ウエディングドレスを着た姿を見た友人に「今日、ちょっと美しい」と言われたらどう感じるか、

式の最中「ちょっとお似合いの二人!」と言われたらどう感じるか、

子供を授かった報告をした相手に「それ、ちょっとおめでたい」と言われたらどう感じるか、

一つのことに人生を捧げ、ノーベル賞を受賞したのに「それ、ちょっと偉大ですね」と言われたらどう感じるか――。

「ちょっと」要るか!? 

と思うのが普通だろう。

思いつきで例を挙げたが、誰かを褒める際、「ちょっと」は幸せや喜びを激減させるものであることはおわかりいただけたのではないだろうか。


ただし、一つだけ例外がある。

ここまで述べてきた内容と矛盾するようだが、褒める局面で使う「ちょっと」でも、幸せ指数を上昇させる言葉が存在するのだ。

去っていく男の後ろ姿を見つめながら、女性が照れたようにつぶやく、

「ちょっと好きかも……」である。

この場合に限り、ただの「好きかも」より、言われた側の喜びは増すのである。

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