見出し画像

米軍医が記録した1951年の〜miyagi〜

おばんです。
仙台で写真を撮っているイタリーさとうです。
今日もローカルな話し失礼します。


今回はあるHPの紹介。

「Miyagi 1951」

1951年3月~12月まで宮城県東松島市のキャンプ地に駐在した米軍医・ジョージバトラーさんが記録した写真。カラー・モノクロフィルムで約2000枚の記録を残し、HPでは震災で被害を受けた沿岸部を中心に数多くの写真が公開されています。

詳しい写真は実際にHPから見てください。
時間を忘れるほど見入ってしまいました。

どれも人々の表情は力強く、当時の宮城の暮らしや日常が伝わる写真です。
写真がうまいというのはもちろんそうだし、半世紀以上前の風景がカラーになるとこんなにもリアルな感覚を伴って伝わってくるのかという部分もある。
ただ、それ以上に「消失した風景の記録」として心に刺さる。

消失とは過去から現在の時間の経過で失くなったものも含むが、その時間の流れの中に東日本大震災で強制的に失われてしまったものが大きい。
あれは土地の歴史をも一気に飲み込む悲惨な出来事だった。

この部分に関しては自分が宮城県民で震災以前の沿岸部の風景もなんとなく知っているという背景があるから、他の人とは違う感情を抱いているのかもしれない。

このHPもジョージバトラーさんの息子、アランバトラーさんが震災をキッカケに父の写真を思い出し、公開まで進んだという経緯があるようです。

改めて、その土地なんでもない日常風景を記録することの大切さに気づきました。
たとえそれは今重要じゃなくてもアーカイブとして価値があるかもしれないと。

そこまで実践しようと思ったらデータ容量とかバックアップとか色々考えちゃうのが現実で、いつの時代まで残せるのかはわからないんだけどね(笑)

ちなみに息子のアランバトラーさんは昨年来日し、写真に映った宮城県内を周り、石巻では父が撮影した人物との再会も果たせたようです。

こういうストーリーはこちらも嬉しくなりますね。

ただの記録がいつか、だれかにとって価値のあるものになるかもしれない。
そんなことを思いました。


#写真 #コラム #日記 #宮城



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?