2018.1.1

どうして勝てなかったのか、どうしたら勝つことが出来たのか。

未だに心の整理はつかないし、その答えがわかったとしても結果が変わることはない事実は重い。

ただ、残しておきたい。この一戦も糧となるはずだから。

その中で、3つの感じたこと。

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"正しきプランで埋めた力量差"

2017年の対戦は0勝3敗。
前回対戦はホームで屈辱の1-4、その力量差は明らか。この結果をどのように受け止め、対峙するのか。
その答えは前回の試合後のエリクのコメントにあったと思う。

「ある時期から、自分たちの守備ラインが低くなりすぎて相手にスペースを与えてしまい、失点につながっています。アグレッシブさや集中力が足りなかったりというのがあると思います。
そしてセットプレーでは、予測や相手のマークに付いていくところが失点につながっていると思います。

このコメントの通り、前回対戦時には、先制点を守ろうとする余り自陣に引きすぎたことで相手の攻勢を受け続け、最後には瓦解した。
その反省を受け、勇気をもって高い位置からプレッシャーを掛けるプランを携え、この一戦に臨んだように見えた。中盤を逆三角形にし、相手のボランチにプレッシャーが掛けやすくする微調整を行った上で、プレスバックの意識も徹底。ボールを奪えば外に張り出すマルティノス・山中亮輔による高速トランジッションからのスペースランニングを軸にしたカウンターでスピードのミスマッチを活かす。
もちろん、全てがうまくいったわけではなく、御しきれず相手の圧力に押し込まれたり、攻撃移行時のチープなミスからロストし劣勢に回ることもあった。事実、最終的にはやられてしまった。しかし、少なくとも前回のようにサンドバックになる時間は大幅に減少、チャンスも攻撃頻度も前回対戦時以上に作り出した。付け加えればセットプレーも飯倉大樹を中心に粘り強く対応し、致命傷を受けることなく、120分凌ぎ切った。

正直なところ、ビハインドを背負った相手が前掛かりになりながらもバランスを失っていた後半立ち上がりに得た何度かのチャンスでもう一度ネットを揺らせていれば、賜杯は横浜の手にあったのかもしれない。
しかし、それは叶わなかった。それが今の現在地。

ともあれ、結果こそ得られなかったが、綿密かつ正しいプランを携えたことが勇戦に繋がった。それは改めて評価したい。

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”持ってない男"

人生の中で幸運と不運の割合を総合的に見た時に、もしかしたら半々ぐらいになるのかもしれない。ただ、ここぞというときに幸運を掴む人と不運を呼び込んでしまう人がいるように思える。

エリク・モンバエルツはきっと後者なのだろう。この日もまた「持ってない」としか言いようがない不運が降りかかった。齋藤学の長期離脱後に左の推進力として欠かせない存在だった山中亮輔が負傷で途中交代を余儀なくされた。
天野純が直前に体調不良となり、コンディションが整わない状況でのプレーだったことも、その不運ぶりに拍車をかけていた。

考えてみれば、2017シーズンの中でも勝負所で負傷者が続出したことは彼にとってみれば災難だった。紆余曲折ありながらも着実に積み上げ、ようやく形になってきたところで、想定しようもない不運が折り重なる形で積み上げたものを失わざるを得なかった。そして、チーム力を維持できずに失速した。

たまたま、偶然、そういう見方もできる。しかし、ここぞ、そんなタイミングで不運が降りかかるのだから、「持ってる」「持ってない」で言ったら「持ってない」んだなぁとふと思ってしまった。

ただ、勘違いしてほしくない。
彼は、一つの時代を終えるタイミングでのソフトランディングと新たな時代の礎を築くというテイクオフのための下準備。そんな難しいタスクを見事にこなした素晴らしい指導者である。彼の指導によって、ビルドアップも、ワンタッチパスも、プレーへの関与意識や連続性も、幅を使った崩しも、カウンターも、トランジッションも、飛躍的によくなった。主戦級の選手も、クラブを離れることになった選手も、成長の跡が見て取れ、特に次世代を担う選手たちの成長は目を見張るものがあった。相手を分析する目にも優れ、その分析結果をチーム状況を鑑みつつ落とし込める手腕もあった。この難しい時期だったからこそ、この指導者が横浜と共に歩んでくれてよかったと心から思っている。

この3年間でもこれだけの災難に見舞われたのだから、エリクの今後に幸多からんことを願わずにはいられない。

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"決勝戦の経験"

ピッチに立ったからこそわかること。その独特の空気、高揚感や緊張感、通常とは異なる特別な舞台、それは経験しなければわからない。その経験は次の機会が訪れれば活かすことができるかも知れない。

ただ、負けた経験、自分のパフォーマンスを表現できなかった経験は決して意義がある訳じゃない。それは失敗体験でしかなく、次の機会に勝利を得る秘訣
や普段通りにプレーする秘訣を得たわけではなく、もう一度トライする必要があるからだ。

体調不良の影響か、精神的な問題かはわからないけれど消極的なプレーセレクトに終始した天野純、ハイテンションなゲームに入り切れないままチームに貢献できなかった遠藤渓太、逞しいパフォーマンスだったにせよ小さなミスで試合を決める失点を招いてしまった松原健、飯倉大樹…、この特別な舞台でなかったら、という気持ちは正直なところ、ある。

繰り返すけれど、意義がある訳じゃない。ただ、経験したことを忘れないでほしい。この経験が彼らをより大きくさせてくれる栄養になってくれるのなら、この敗戦の痛みや損失も決して高くない。

ここまで上り詰めたからこそ得れた糧。もう一度、一つずつ勝って、この舞台に戻ってこよう。そして、次の機会で、この糧があったからこそ、と笑って話せることを待っている。

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最後に。

前回対戦の経緯を考えても、セレッソが強いのはわかっていたし、力の差があることもわかっていた。相性の悪さを鑑みた時に非常に厳しい試合になることを誰もが感じていたと思う。その中で勝つ可能性があるゲームが出来たことはひとつの進歩であり、シーズン終盤のスクランブルの時期に培ってきたことが形となった成果だとも感じたり。

それでも届かなかったのは今のチームの現実。それ以上でもそれ以下でもない。タイトルを獲れなかったのは、現時点で強いチームに対して優位性を持てる要素が余りに少なかったこと、試合を決める複数の選択肢を持てなかったことの結果だとも思う。

ただ、望もうと願おうと一足飛びにチームは強くならない。過渡期を迎えたチームが新たな時代を見据え、必要不可欠な要素を積み上げるための3年間だったとするならば、この悔しい試合も必要だったのかなと、今となっては思う。

この先に結実の時が来ることを信じて。ここが到達点じゃない。もっともっとやらなきゃいけない要素も沢山あるし、突き詰めなければいけない要素も沢山ある。間違えなく礎は築かれたからこそ、沢山の宿題を伸び代にして新たなステップに進んでほしい。

一丸となって進んできた2017年、皆で進んできたからこそ苦境を乗り越えられた、と思ってます。お疲れさまでした。今はしっかり休みましょう。

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