実は移動の問題に関わっている

今日はもう15年くらいぼくのうっかりポンコツ的存在を暖かく見守りつつ、支えつつ、ときどき相談してくれたりしつつのよくできた妹的な存在の川人(かわんちゅ)から、地域に仕事で関わっている人たちばかりが集う飲み会がたまたま東京で開催されることになったので、よかったらどうです?ってことで誘ってくれたので、時間もあったのでお邪魔してきた。


それぞれクリエイティブの面から関わったり、農産物売買から関わったり、また移住支援から関わったりと、それぞれの持ち場で楽しく関わる人たちばかりが集って、地域に関する話をすこし、あとはおバカな話をたくさんしたのだけど、そのすこし真面目な話をした時、「やっぱ移動コスト高ぇわ」という問題があらためて浮上した。


いきなり解決するのかどうかわからないけど、本当に移動コストが高すぎて移動する気にならない。安いコストの移動を選ぼうとすると、ライドシェアとか夜行バスを選ぶことになるわけだけど、当然ながら価格に伴って相応に快適度は下がる。だから快適な旅をしようと思えばコストはかかる。


いや、当たり前のことである。とても。


ちょうどそんなことを話してから、ふと最近つながっている官僚の人からちょっとした連絡があって「地域で過剰供給となっているインフラの見直し」についての相談を受けており、効率化の視点からみればたしかに過剰な供給であることはまちがいないのだが、まさにそこにあと10年後には住む人がいなくなりそうな、しかし、そのたっぷりと思い出が詰まった家を離れる気は一切ないじいちゃんばあちゃんたちに、どうやって「効率悪いから便利なところに引っ越して」と言えるのかという話だ。


言えないよ、である。


最後の最後にその集落で生きていた人がお亡くなりになるか、施設に入るなどして、全く移住する人もこなくなり、廃村になってからはじめて、そこには道路も水道をひくパイプも、電気も、すべて撤去したって文句を言われないようになるのであろう。


そのどうしようもない暮らしにもまた移動の問題は関わっている。免許など持たせるわけにはいかないような、歩くのもふらふらとおぼつかないようなじいちゃんばあちゃんが、自他共に対する危険は承知で車を発信させていて大変な事故も起こっているのがまさにいま、である。


都道府県という単位というか、数百キロかつ数時間という単位の移動に伴う地域格差に関する問題も、また十数キロかつ数十分という単位の移動に伴う過疎地の暮らしの問題も、結局のところ移動の問題にぶち当たって解決が糸口すら見えていないものだ。


ふと、「ぼくはいま、移動に関わる会社の未来を想像しているな」ととても当たり前のことなのだけど、貴重な場にいることを改めて思い返した。


日本の中でも技術分野においてトップレベルの知能を持つ、ものすごく優秀な人たちが寄ってたかって考えてきたのは、「いかに多くの車が世の中に普及するのか」であり、その作戦は見事に大成功を収めたのだと思うのだ。

そしていまその業界は、販売した自動車が実はそんなに稼働をしてないっていう問題と、さらに最近は「だいたい買わなくてもレンタルでいいじゃん」っていう自分で所有する気がない世代が山盛りいる問題、が組み合わさって絶望的に自動車販売数が伸び悩んでいくという課題に発展してきている。


そして引き続き、「とはいえさらにいかに多くの車を売るのだ!!」ということにその叡智を傾けようとしているけれど、そこじゃなくて社会問題こそを解決できるように知恵を絞るべきだろうよって思うけれど、そんなことをビジネスにしたことなんかないんだから、新しい提案があっても意思決定も出来ないですよってな問題でアタフタしてますナウって状態なわけである。


お手上げか、といえば、まったくそんなことはない。


ただし、意思決定者たちの暮らしの変化に対する理解が乏しすぎて、このまま進むのならそうした集団が潰れていくことになるだろうなとは思う。

ただ潰れてしまったとしても、そこで吹っ飛んだことが生み出した混乱の中に、新たなビジネスチャンスが生まれていくような気がする。そしてそうならないと、叡智をもったそれぞれの人たちはきっと本当の危機感を持つことはないのかかもしれないなあという気もしている。

その時には「自動車を普及する」みたいな問題は社会で解決してほしい問題からすでに追い出され、真剣に「移動めんどくせえのにコストが高いからなんとかしたい」っていう問題に対して、実はそこまでコストをかけなくても解決できるかもしれないっていう解決策を提示する集団たちがぽつぽつと芽を出して、小さいながら育ったり、またもやベンチャーバブルっぽくユニコーンとかいってもてはやされて、バゴーンってお金を積み上げられるのかもしれない。ちょっと見通しはぜんぜんわからない。


でもまあ、いくらかそういうことについて素人であることには変わりはしないけれど、どんなことが問題でそんな風になっているのかくらいは学べる立場にはあるってことは確かだ。どこまで何かができるのかは、正直なところなかなか見通しが立てづらいのは、意思決定に影響を及ぼすまであまりにも遠大な距離があることを実感しているからだ。


そのへんも含めてとても学び深い日々である。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。