いつなにを聞くのか

今日は丹波の親友でありヨガの師匠であるケンさんと一緒に京都の南へ。
とあるインタビューをするためだ。


98歳の女性にインタビュー。
友人のおばあちゃんである。


縁起でもないと言われるかもしれないが、人はいつ死ぬかも分からないわけで、死んでしまったら言葉を残すことはできない。死人に口無しである。

ただ、人の生き死にというのは、これから生きていく人にとって大きな転機となるものであると感じる。大切な誰かがいなくなって初めて、自分もまたいつかどこかで消えていなくなってしまうことが実感出来て、そこから人生をより真剣に生きていくということもあるだろう。


ただ、その時には「よくそんなことを言ってたな」とか「あの時はどんな思いでいてくれてたんだろう」とか「自分に何を期待してくれていたのか」といったことが、聞けずじまいで見送ってしまうことが多々あると思う。

そういうのはとっても大事なコミュニケーションだと思うのに、人はそれをうっかりやり過ごし、先延ばし、いつかの後悔につながる芽をすくすく育ててしまいがちだと僕は思っている。だから少しでも解消をしたいと思う。


そんなことを思って投稿をしたことに、「協力したい」ということで友人が連絡をくれたことで、今回のインタビューが実現することになった。


おばあちゃんは、何度も同じことを答えることもあったが、思い出に残っていることをきちんと答えて下さり、とてもたくさんの学びがあった。



・大きな会社の工場が嫌で逃げ出してきたこと
・とにかく親に言われた相手と結婚したということ
・嫁いだ先でとにかく一生懸命に働いたこと
・旦那さんは会合ばっかりで働かなかったこと
・ぜんぜん労ってもらえなかったこと
・息子さんが表彰されて誇りに思っていること
・ときどき孫を背負いながら働いていたこと
・その小さな孫が自分を大切にしてくれること
・いまとてもいろんな人に大切にしてもらえること
・大切にしてもらえることでとても幸せに思うこと
・一生懸命に働いたことがちゃんと返ってくること


そんなことを言葉にしてくれた。
それを孫にあたる友人と僕たちの3人で聞いた。


このことを98歳のいま聞けたことはとても嬉しい。
一方で「Yes/No」がはっきりした質問には回答してもらいやすく、自由な表現で話してもらいたいオープンな質問にはすごく悩みながら答えたり、途中で質問を忘れてしまって違うことが返ってくるといったこともあった。


大事なことを伝えたいとき、相手はそれを十分理解できるか。
大事なことを聞きたいとき、相手はそれを言葉にできるのか。


そう思うと、それほどたくさんの時間があるわけでもないのかもしれない。
だから「いつなにを聞くのか」がとても大事なのだと思えた今日だった。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。