それぞれの役割を演じる

人はドラマティックに自分の役割を演じる名役者だと思う。

僕は僕の役割をわりと精一杯演じている自覚があって、だいたい人に穏やかな気持ちを与えることも多いが、まれにうまくいかないときがあって、その度にまた僕はうまくやれなかったなあと思ってしまったりもする。

でもきっと、長い目で見るとうまくそのとき悲劇や喜劇を演じている。
立派な悲劇や喜劇の演技をちゃんとやりきっているのだと思う。

概ね喜劇の演技や、穏やかなファミリードラマのえなりくんのような、サザエさんでいうカツオのような役割を演じていたいと思っているが、カツオだって長く生きてれば、悲しいことも嬉しいこともあるものだ。

それをちゃんとそれぞれ演じているのだ。
演じているといっても本気でその役割を全うするのだ。
つまり生きるということだ。

そうなのだ。

嬉しいのも生きることを全うしている。
悲しいのも生きることを全うしている。
腹立たしいのも怒る役割だし、大笑いするのも役割だ。

なんせ、今日も僕は大切にこの与えられた役割をやるだけだ。

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