つらつらと書くだけでいい

noteに書くことを始めたけれど、僕にとってはこれは思いのほか良かった。できればみんな始めていけばいいなーと思う。

誰かに読んでもらうことがやる気になるのはまちがいないけど、そんなことはさておき、頭の中にあるものを吐き出すことはとてもいいのだ。自分の頭の中にあるものを文章に落とすことは、思った以上に頭が整理されるし、別に整理されなくってもいい。


ありがたいことに文章がいいとか言われることがあるが、どこにそんな褒められる要素があるのか一切わからんけれど、そう言う人がひとりでもいるならば自信を持って書いてしまえばいいなと思って、自惚れていきたい。


そうそう、自分のことを好きだということは小っ恥ずかしいものだが、それはけっこう大事だと思う。


自分の思考力も、身体も、声も、運動神経やら、精神的な強さ弱さも、替えのきかないものばかりだ。それを取っ替えようと思うことがあっても、そういうメルヘンな物語があっても、そんな内容の映画がいくら流行っても、実際は取っ替えられた試しはない。

だから自分を構成する、こころ、からだ、あたま、について嫌いだと思って生きる人はけっこういるのはわかっているけれど、そのまま嫌いでいるよりは間違いなく好きになって生きたほうがよほど心地よいと思う。

なぜなら、もうその内容を帰る手段は基本的にはなく、それと一緒に生きていくのが嫌だとしたら、もう絶望的じゃないか。そんな絶望をしながら生きていくよりは、自分が自分のことを、じゃあどうしたら好きでいられるのか、ってことを考えて実際にそうしていったほうがいいなと思ったりする。


それができりゃ苦労してねえわ、ということもあるだろう。


でも大したことをしなくちゃいけないわけじゃなく、人生につきものである選択する機会に、自分が自分のことを嫌いにならない選択をしていくというだけで随分と自分のことをマシな人間だと思えるようになるように思う。


たとえば、歩いていると道にゴミが落ちている。それを拾うことが出来る人と、拾うことが出来ない人がいたとして、自分がどっちのほうが自分のことを素敵に思えるだろうか、と考える。

多くの場合は、偽善的であろうとなかろうと、拾ったほうがそりゃいいやつだな、と思うんじゃないかと思うが、実際は面倒くさかったりして、自分に拾う行動をさせない場合も多いのではないか。

そこで、えいやっ!と拾ってみるだけで、なんだかすっきりして、自分がなんか小さなことだけど、やったんだという高揚感を感じるなんてことは僕自身が感じたことがある。


たとえば、嬉しいことがあったとする。そのときに、素直にありがとうって言える人と、そうでない人がいるのはよくわかるのではないかと思う。

そこでありがとうって言えるだけでいいのに、なんか照れくさくて言えないことってあるわけだが、そういうことって後になって「ああ、もう!なんであの時にちゃんとありがとうって言えなかったんだろう!」っていうことになるなんてことは、生きてれば誰しも一度くらいはやっちまった経験があることなんじゃないかと思う。

当然だけれど、ありがとうって言えることは誰にとっても悪いことじゃないし、むしろ自分も相手もハッピーな気持ちになるにきまっている。なのに、照れくさくて言えないだけで、あとで後悔するってこともまたよくある話。


たとえば、両親と仲良くするということ。いろいろと育ててもらってきた中では、イライラしたこともあるかもしれないし、なんか傷つけられたような気持ちになったりすることもあった、なんて人もいるかもしれない。

けれど自分がいざ父親になってみればわかったものだけど、やっぱり子供はとってもかわいいもんだし、幸せになってほしいと願っていろいろと口を出したり、手を出したりしてしまう、そんな葛藤を乗り越えて黙ってたりと、親の気持ちは子供には伝わらないよねーなんて思うことは、きっと自分の親もたーくさん経験してきているに決まっている。

そんな両親に対して、感謝の気持ちを述べることをする人と、しない人がいて、どっちのほうが素敵だろうかと言えば、そりゃ言える人のほうが素敵だと思う人が多かろう。これもまた恥ずかしくて言えない人が多いわけだが。

でも誰も困らないのだから言っちゃえばいいし、言えないなら手紙でも書けばいいのであって、それを出来た自分のことはいい感じだなと思えるわけである。たったのそんなことでも人は自分のことを素敵だなと思えるはず。


与えられたものがなんであれ、それが自分に及ぼす影響は、自分が行動したなにかよりも影響は小さいと僕は思っている。恥ずかしいことはあるけど、それを乗り越えて誰かにとって嬉しい、自分にとっても嬉しい、そんなことを積み上げていくだけでもずいぶん自分に対して悪くない評価ができることってあるんじゃないかと思う。それをしていくだけでいい。


日常の小さな積み上げで人は自分のことを好きになったり、嫌いになったりとするものだけど、なんせ自分が行ったことが誇らしいものでいっぱいだったとすれば、それほど自分のことを嫌いになったりもしないように思う。

なんかそんなことでいいんだけどなーと思う。


みたいなことを書いていたらいいんだと思う。別にすごいことなんか書いていたりしないけど、ときどき人に刺さって、なんか良かったとか言われて、えーこんなことで喜んでもらえるんだ良かったなんてことがあったりする。


だからあれだ、なんかすごいことをするんじゃなくて、自分の中にあるものをなんか書いていけばいつの間にかいいことがあったりするんだ、きっと。

別になくてもいいしね、整理されたり、自分の頭の中にあるものが吐き出せてすっきりするだけでも十分じゃないか。


今日だって1文字書くまで「あー、今日は何を書こうかぁ」って思ってたのに、気づいたら2000文字超えてんだから。不思議なもんだ。

ま、そんな感じで明日もなんやかんや書くよ。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。