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菩薩の道も一歩から

なんたら菩薩というのを聞いたことがある人もいると思うが、これはお坊さんのなかでも伝説的な存在だったり、想像上の神様だったりを指すもの。


なんせ仏教の中では相当高い位置付けであることは間違いない。


さて、仏の道を歩み続けていくことを、菩薩道ということがある。これは、菩薩様の在り方からそう言われるものであり、菩薩様というのは悩める者と一緒にその答えを探し、歩んでくれる伴走してくれる存在なのだ。

友人の中でも、もはや自分の生き方そのものへの執着を離れつつあり、菩薩道へと歩みを進めていく存在がちらほら出てきて、ぼくはとても嬉しいのであるが、昨日お遍路の旅を終えて、菩薩道を歩み始めた友人をお迎えした。


ここずっと一年の間、彼はずっと悩み続けて生きてきたが、その悩みはもう死んでしまった方が楽だという気持ちを毎日のように思い続けるというものであり、とても心配はしていた。

しかし出来ればそれだけ真剣に生きることに向き合える大切な仲間だから、一緒に生きる望みを持ってくれたら嬉しいなと思って、彼の回復を信じて祈り続けていたが、2ヶ月ほど前に「お遍路行くことにしたわ」ということを教えてくれた。これはいい旅になりそうだなと思って嬉しかった。


彼はずっとブログを毎日書いてくれて、様子はずっと伺うことができた。

そして毎日毎日、その旅がいかに素晴らしいか、自分がいかに囚われて生きてきたのか、今日はどんなに楽しかったか、ビールはどんなに美味いのか、景色ってどんなに綺麗なのか、歩くってどんなに気持ちがいいのか、人生はどれだけ豊かなものに囲まれているのか、生きるとはいかに素晴らしいのかを書き続けて、心情を伝えてくれた。とても感動した。


彼が帰ってきた。そして返ってきた今日、すぐおかえり会である。


彼の話を聞きたいという人が、今日はどうしても行けないと残念がる中で、予定を調整してきてくれた悩めるアラサー女子に対して、とても大切な言葉を伝えていて嬉しい気持ちになった。


「僕は人生に対して、すごく強く立ち向かわかなきゃいけないような気持ちを持ちすぎてたかもしれないなと思ったんよね。すごく力が入ってた。」
「なんかこだわりを持ってる男って、めっちゃかっこええなと思ってたけど、もうなんかそれがむしろ生きづらさに繋がってるんちゃうかなと思ってさ。そんなんええから、楽に生きてもええんちゃうかって。すっと肩の荷が降りたような気がして、で、やっぱ結局ビールめちゃ美味いなって(笑)」


ああ、これはもう菩薩道を歩み始めたんだなと思って、嬉しくなった。

そして悩み抜いた日々が、苦しんだ時間が、それがあったからこそその言葉にしっかりとした信頼できる重みを持たせていることを感じさせた。


彼にしか言えない言葉が、もうそこにある。
彼はもう、自分の体験を嬉しく語ることができる。
彼が救い、楽になる人たちが、少しずつ増えていく。


その未来が見える瞬間に立ち会えることほど嬉しいことは、僕にはあまりない。死ぬまでの残りの生きている時間を、なんとか一生懸命に過ごしているのは、この瞬間を見るために生きているような気持ちさえするのだ。


たまらなく嬉しいし、感謝の気持ちが湧いてくる。
信じて描いていた姿が、そこに輝いて存在している。


これから旅は続いていくよ。
思いもよらない楽しさがあるよ。

かいさん、おかえり。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。