BOWS-CAFEはホントにサイコー

今日はほんまに久々にBOWS-CAFEに参加することができた。本日で90回目の開催となり、月イチで7年半もイベントが継続されたということ。

最近は開催がどうも火曜日なことが多くて、僕はどうしても火曜日は東京にいることが多くて参加ができないことが多かったけれど、ひさびさに雰囲気を感じることができて幸せな時間であった。


チベット仏教が主要な宗教であるモンゴルにお邪魔してきたこともあって、田舎の町にもこうして遍在する日本のお寺が、いかに豊かなのかということを実感することができた。

ここでも書いたが、ソ連が社会主義政策をとっている間に、モンゴルのお寺はいくつかを除いてほとんどぶっ壊されてしまった。それに比べると日本のお寺はとても豊かだし、廃仏毀釈で受難があったものの現存している仏像や仏具の数はずいぶんとたくさんあって恵まれたものだ。


しかしモンゴル人はとても敬虔な仏教の信徒であり、本当に仏の教えを大切にしていて、またお坊さんの言葉にも大きな信頼と畏怖の念を抱いている。そういう意味では、仏教の教えがかなり形骸化してしまっていると思われる日本よりも、仏の教えに関する話をするにはモンゴルの方がしやすい。


それでも、このBOWS−CAFEがである。

ここは仏の教えも、悩みも、苦しみも情けなさも、不甲斐なさも、嬉しさも楽しさも、気楽さも心地よさも、感謝もなにもかもを話していい場所だ。

どうか日本中にこの場所があればいいなと思う。

この場所が成り立っている素晴らしいバランスは、とても穏やかで人間らしさが溢れるお坊さんと、悩みや恥ずかしさを隠そうともしない在家仏教徒のぼくらが、誰のことも責めることなく、いろいろあるよねーって、泣こうと喚こうと、そうかそうかーっつって聞くことができる場の力によって成り立っている。けれど、やってみれば「やさしい人たちでつくるだけの場」だ。


ひさびさにいったけど、ほぼ変わらない。
そして明らかに、この場の持つ力は高まっている。


BOWS−CAFEはまじで最高。
本当に始めてよかったし、続けてくれて幸せだ。


たいへん自慢できるものである。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。