なんのために稼ぐのか

お金に興味がある人が多いからこそ、小商い塾というものは響くのかもしれないなと思っている。あるいは僕ががっつりとみんなに関わる定期的な勉強会の形態がいま「小商い塾」しかないから、とりあえずなんでもええけど、それでってことできてくれているのかもしれない。それはとても嬉しい。


小商い塾を始めることになって、もうしばらくで4年が経つことになる。じわじわとよくわからないうちに、興味を持ってくれた場所にうろうろして、全国各地で体験会を開催して、勉強会として継続してお邪魔している。

そのなかでそれぞれの人生にとって、そのとき最良だと思える言葉を伝えていけるように心がけているのだけれど、小商いとか言いながら、普通に転職すべきやでーなんてアドバイスをすることも結構ある。小商いを始めることになる人ももちろんいるけど、そういうことじゃなく、昔の忘れられない恋愛にケリをつけるということが解決策だったというとんでもない例もある。


なんのために稼ぐのかといえば、ゴールは明確で「幸せに生きるため」であるということにきまっている。ただ稼ぐことで、〇〇して幸せに生きるためにということが大事で、〇〇ってなんやねんというところがきちんと埋まればやるべきことはそこで明確になるのである。

それがなんとなく明確になってないから、人は「幸せになりたい」と言い続けるのではないかと思う。そこを追求して、自分がなにがあれば幸せだと言えるのかを定めることで、どんなことをして、いくら、稼ぐための行動をとることができると思うのである。


場合によっては、いや場合によるどころか本当は、稼ぐ金額ではなく、どんなことををして「最低限ご飯を食べて人に会える」くらいお金があれば良いなんていう考え方が大事なのかもしれないなんて思う。金額の量ではなく、どのような時間の過ごし方で自分がご飯を毎日食べながら、嬉しい気持ちで過ごせるのかってこと。すくなくとも売りたいと思えないものを売って、モヤモヤした気持ちで釈然としない、というのとは違うのだろうなと思う。


なにが大事なのかが定められるためには、きっと自分のことをよく観察していかなければならない。簡単じゃないことだけど、それが自分という個体に与えられた特徴であるのだと、癖であるのだと、命運であるのだということを気づいてからでないと、本当に有効な一手は打つことはできないと思う。


我ながら、とても大切なことを多くの人と語り合ってきている気がするし、それについてものすごく誇りを持っている。なによりそれを語りたい。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。