インプットしたものを見直す

あかん、体調よくないーって思って過ごしていたここのところ、自分が選んで見ていたのは吉本興業関連の動画とニュースを引き寄せられるように見ていたことをふと思い出した。


芸人の人たちがどんなに苦しかったのかということと、それはまた、会社側も同様に苦しんでいて、ただ構造的には社会批判の的になるような組織構造になっていたり、その対応がヘタクソで見てて色々と残念だったり、なんせ見てて気分があんまり晴れないものであったわけだが。


なんせ、それをここのところ、めっちゃ見ていたのであった。


その時期に、体調がずっと優れなかったわけで、こじつけていると言うこともできるけれど、やはりインプットしたものの影響は受けると思う。そしてそれをわかっていながら、その気が当てられるものを見続けていたことには責任があって、それで自分がしんどくなるのは判断をミスっている。


あくまでも個人的な感覚であるが、食べものも、音も、情報も、触れるものの影響を少なからず僕らは受けて生きていくものだと思っている。

だから、自分の選ぶものが自分に影響を与えるのだということを知っていたのにも関わらず、自分の気分や思考に影響を与えるものを取り入れていたとすれば、それは自らで自分を傷つけているのと変わりはしない。


食べるものを気をつけるように、取り入れるべき情報にも、聞く音楽やら、自分が使う言葉にはもちろん気をつけていなければ、すぐに自分を落ち込ませる言葉を吐くことができてしまうものだ。

誰かが自分を傷つける言葉を吐くことを止めることはできないが、自分が自分を傷つける言葉を吐くことは止められるし、自分が取り入れる情報が自分の感情を落ち込ませたり、苦しませたりすることを、自分で遠ざけることはできるし、それは自分が選択できるものだ。


きょうはこのままいい気持ちで寝るのだ。明日は絶好調であろう。

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