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願いは届くと言えるかもしれない

誕生日が近づいてきた。もうすぐ37歳になる。


しかしその37歳になる当日に、ぼくは東京にいる(し、正確には夜行バスの中で誕生日を迎える)ので、この家ではお祝いができなさそうだ。

ということを知っている住人のみんなが、オーナーであるぼくと、我が家によく遊びにきてくれる女の子「あちゃ」との誕生日がまさかの同日、しかも干支まで一緒(今年で25歳と37歳)っていう偶然も素敵だね〜ってことで、今日を早めの誕生日のお祝いとしてお食事会をしてくれた。


このブログ上では何度も言っているが、今年の初めは恐ろしく孤独であった。本当に寂しい気持ちを感じた。


こんな思いはしたくないなと思ったし、これを体験したことをしっかりと心に刻み込んで、自分はきっとこの孤独から離れるための行動を、また古民家を本当にみんなでワイワイと使っていくための行動を、とにかく取り続けていたいと思ったのだった。そして、5ヶ月をもうすぐ迎えようとしている。


どっさり人を呼んでほしいと思ったわけではなく、ただこれから一緒に暮らすことを選んでくれた人たちと一緒に過ごせたら嬉しいなと思っていたら、それを本当にそんな風につくってくれた。本当にありがたいことだった。

ひとりで、嬉しいような照れくさいような気持ちになって、どんな顔をしたらいいか分からない時間を過ごすより、ずっとよかった。


日常でいくらでも変な格好をしているくせに、けっこうちゃんとお礼を言うのが照れ臭くて出来ないし、今日もうまく言えなかったように思う。

本当は、「こんな日を楽しく過ごし、迎えるために生きてきたような気がする」と思っていたし、「いまこんな風に過ごせてとても幸せだよ」とか思っていたのだけど、あまりうまくは言えないままであった。素直に言えないことをブログに書いちゃってるよ。むずかしい。


でも少なくとも、元旦に思った寂しさとやりきれなさを、いまは暖かい雰囲気と食事ときもちと贈り物に囲まれてとても嬉しい気持ちでいっぱいだ。

今日みたいな日に死ぬのがいいんだな、死なないけども。
まだ健康みたいだし、嬉しくて楽しいからもうちょい生きるわ。


ありがとう。うれしかった!

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。