時間がないなら大事なことを書く

いや、それもおかしいな。いやしかし、人生はそんなもんかもしれないなと思うところもある。だって人生が終わることが分かってから本気になることばかりじゃないかと思ったりするから。


僕はけっこう、人生の終わりを迎える人、もうすぐ死ぬことを覚悟した人の言葉を参考にして生きてきたような気がする。

探せばいくらかみつかるはず。

スティーブ・ジョブスの卒業式のスピーチだったりとか、カーネギーメロン大学のランディ・パウシュ教授の話とかね。



Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself. And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.





私はもうすぐ死んでしまう男です。でもまだまだ人生を楽しんでいます。そして残された毎日を楽しみ続けるつもりです。

子供のような探究心を忘れないこと。本当に大事だからです。探究心が私たちを突き動かすのです。


どうしても残したい言葉というのは、削っていけば純粋な好奇心や楽しむことをおススメしているものが多いことに気づく。楽しんでいた人は、それは本当にこれでよかったと思っていると言うし、楽しめなかった人は、それは後悔していて、あなたはきっとそうじゃないように生きてほしいと。


僕らは苦しむために生きているわけではないので、不幸になるために生まれているわけではない。一方で幸せになるために生まれてきているとはいえ、早く幸せになりたいという言葉が口癖になっているとすれば、それは現状はそうでもないと認めてしまっているからこその言葉だともいえる。

人はもう、いまそのまま、その瞬間が幸せに包まれているのであって、その素晴らしさを味わうチャンスがいまそこにあるのでそれをすればよいのだと思うが、人はそういうことをなかなか選ばない。


過去を見ては、こうするべきじゃなかったと嘆く。
未来を見ては、こうなったらどうしようと嘆く。


そんな暇はない。今日を大事に生きることほど大事なことはないし、今日のおいしいごはんを楽しまなければ、それは美味しいかったねえと笑える過去にもならないし、今度も今日みたいに美味しいごはんだといいね、という気期待を持つことにもつながらない。

いまをどう味わうかによって、過去を素敵に振り返ることも出来るようになるし、未来を楽しみに待つことが出来るようにもなる。だから今日の時間を大切にするってことは、結局いちばん大事なことになるわけで。


僕は結局のところ、あんまりすごいことをしたいとも思わず、すごい技術をどうこうしようとも、すごいサービスをどうこうしようとも思う気持ちがなく、それよりも如何に今日を楽しむかしか考えられない脳みそらしいし、それはとても幸せなことかもしれないと思う。

だって、この世の中は単純だと思い込めば単純である。
そして、この世を複雑で困ったものと思えば複雑で大変だ。

そうか以外に20分くらいで、思いっきり書こうと思えば書けるもんだね。書きたいことを、今日が最後のようにして書くことを、毎日積み上げていくとすればすごいことになるのかもしれない。


満足した。では懲りずに夜行バスで寝ます。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。