仏教はモンゴルでも偉大な存在

いま、まさにグローバルwifiの容量制限に引っかかってしまっており、通信速度がものすごーく遅いので、かろうじてテキストだけはかけそうな感じである。明日あたりには写真も追加してアップできるだろうか。

そう考えると、インドはなんやかんやでゲストハウスにwifiがあったので、こうして写真をアップすることなんかについて困ることがなかったけれど、モンゴルでは通信の整備が行き届いていないので、なかなか困っちゃうのだなということがわかった。大草原のゲストハウス(ゲル)には、そこまで整備された通信環境はないから気をつけてほしい。

さて今日は昨日到着したカラコルムのエルデニゾー寺院に行ってきた。

ブータンには同様の寺院がたくさんあって、寺院の壮大さを巡るだけなら、ある意味ではブータンの方がもっともっとすごいと思うし、行ったことはないけどチベットも相当素晴らしい寺院がいまも活動をしていることだろう。




モンゴルのエルデニゾー寺院の示すところは、ソビエト連邦のような社会主義が歴史的な建造物を壊し尽くして、ほとんどなにも残ってないくらいにまで壊滅させてしまったということだ。建物は残っているけれど、それでも70パーセントは壊滅していて、残っているのがわずか30%だけなのである。




それでもいま、エルデニゾーには「モンゴルの仏教徒なら一生に一回は行くべき」と言われる求心力があり、首都ウランバートルからかなり距離があっても、それでも人はそこに足を運ぶべきなのだと信じている。

エルデニゾーにはいくつかの立派な仏像が残っているが、おそらく多くは破壊されてしまっており、うまく隠せたのであろう刺繍と壁画が中心となった展示物が保管されて公開されている。


吹き抜ける草原のなかで、多くの生命が権力争いに消えていくことを歴史は繰り返し続けている。リーダーについていったものたちは、おそらく重宝をされて、反対した部族はおそらく奴隷のような扱いをされてきたという歴史もまた各地で同様のことが起こってきたはずだ。

宗教と戦争の歴史はずっとずっと同様に繰り返されてきているように思う。

インドでも中国でも、戦争をしながら、宗教との関わりを持って、宗教問題を中心にして争いが起こったり、戦いの苦しさや飢えや病気を宗教に救われたりして、人々は生きていく。


宗教もなくなってないし、戦争もなくなっていない。


インドの古典の叙情詩であるバガヴァッド・ギーターには、自我を捨てて、肉体の存在に執着する思いを捨て、ひたすらに戦って消えていくことが役割という存在もあるのだということを示している。

それを通じて、武人は祭祀を行うという境地に到り、神官が祈りを通して存在に関わるように、武人は戦いを通して存在に関わるのだということを示している。




己の自我を捨て、身体への執着を捨て、一心に役割を全うすることにのみ心を傾けることによって、武人が救われるということを、モンゴルでも、また古くはチベットやブータンでも、戦いに赴く戦士たちの迷いを拭いさるものとして信じられてきたのではないかと思う。

つくづく世界史とは殺し合いの歴史だなと思うが、血生臭い戦争の歴史のなかに、生きる苦しみや戦いへの迷いと葛藤を拭いさるように、人々の愛と知恵との結晶とも思える言葉たちは、形を変えながらも長く今に続いてきたのだろう。


人間というのは殺しあってばかりでなにをしているのだろうかと思うし、権力を手に入れることに躍起になり、自分の世代では覇権を手にしたとしても、子孫の世代ではその憎しみが引き継がれて、報復されて、ひどく血生臭い復讐を受けることは、因果応報であり、ずっと変わることがなさそうだ。


そんな道理に気づき、争うことや、奪い合うこと、妬みや怒りによって、一時的になにかを手に入れることの無駄さを理解したとき、せめて自分は業を積まぬよう、慎ましく生きようかと願うとき、合掌して心を落ち着かせることを今も昔も変わらず、ずっと仏教はこのモンゴルでそうあり続けてきた。




もはや風に吹かれ、歴史に思いを馳せ、合掌するほかない。

合掌。



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よこたいたる(古民家お祈りさん)

新宿を中心に他拠点で暮らすフリーな人。でも兵庫県丹波市に築190年に迫る古民家を保有して悩む。困ったらみんなと解決するべきだと決意して、ブログでとにかく困っていることを365日発信すると決意。人に助けてもらって生きるミラクルな日々をリアルタイムにレポートしていきます。

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