瞑想を手段として持つこと

今回のモンゴル滞在も終わりが近づいてきた。

モンゴルでも有名な観光地であるテレルジにやってきた本日、ガイドのボルドさんにお任せガイドで連れてきてもらったこの場所に何があるのか知らずにやってきたわけだが、ここでもわずかに残った寺院があった。

岩場を背にして、山の中腹に小さなお寺がある。アリヤバル寺院という場所だが、Facebookのスポットで検索すると「Aryapala Meditation Temple」と出てくる。なんだかとても座禅がしやすそうな雰囲気のお寺の予感。


中腹のお寺がある場所までの草原の一本道には、ずらっと看板が並んでいて人の迷いがなぜ生まれるのか、そして愚かさとはなにか、人が惑わされ易く、陥り易い悩み事についてシンプルに本質をつく言葉が記されている。






氷の上に建てた家は、日が昇って氷が溶けてしまえば沈んでしまうものだ。したがって、すべての導師はこの人生のいつか必ず終わりがくるという性質を知っておくことだ。


夢のような話である「永遠」をいつか必ず消えていく物質的なものにより、またいつか消え去る身体に宿る意識により、実現しようとすることは無駄なことであることを知らなければならない。


ロマンもへったくれもないが、死なない人間などいないし、消えない思いはないのである。それでも夢物語としての期待を捨てきれずに、人はその期待が裏切られた時には悲しむのである。

それは自分で掘った落とし穴には、私だけは落ちないとなぜか信じ込んで、それを渡ろうとして落ちた時に期待通りの結果が出なくて悲しむくらいに馬鹿げたことであるということ。


「なぜ人は死ぬのか」なんてことは突き詰めて考えていけば、結局のところ考える必要はなく、誰もが必ず死ぬのは必定であるから、どうしてこの時間を過ごそうかということだけ考えれば良い。

まあ実際は、そのために遠回りをして、頭を打ち、何度も絶望し、その事実を認識してこそ、それが納得できるということなのであるけれども。



その3つのバケツを満たすことはできないことを覚えておきなさい。
知恵によりそれを満たすことに取り組みなさい。


これはおそらく、三毒のことであろう。貪瞋痴(とんじんち)。


貪(とん)は、貪りの心。誰かと自分を比較して、嫉妬の炎で自分を焼き尽くしてしまう心のこと。誰かと比べても仕方ないのに比べてしまうのだ。

瞋(じん)は、怒りの心。こうあってほしいという期待を持ち、裏切られた時には怒りの炎を燃やす。もともと期待しなければ怒りもしないのにだ。

痴(ち)は、無知の心。真理を知ることがなく、縁起という基本的な概念を知らずに過ごす。評価ではなく世の中の法則や真理に目を向けることだ。


そうしたことが書いてあるようだ。


そうして登って行った先に、最後に階段を登って本堂に辿り着く。



荘厳ではあるものの、質素で静かな場所である。

「瞑想されますか?」

ガイドのボルドさんはよくわかっている。すばらしい。



20分〜30分ほどではあったが、結跏趺坐(両足を互いの太ももに載せる座り方)でゆっくりと呼吸を落ち着けて、気持ちを整えながら時間を過ごした。


「得るものなどないよ(そして、すでに備わっている)」


そのことだけが気持ちに残った。とかく何かを得ようとする心が活発に動き始めるものだし、損得ですぐソロバンを弾くクセがちらりを顔を出しそうになるものだが、それは「足りてない」とか「奪われてなくなる」とか思ってしまうところに発端がある。自分の心の無知にあるということだ。

事実としては「何も失うことがない」し「手に入れるということもない」というのが真実なのだと感じるし、そうであると確信している。


だからもう私たちは悩む必要もなければ、恐れることもなく、安心して臨終を迎えることができれば、阿弥陀仏の本願によって仏として極楽浄土でまた心地よい永遠の時間を過ごしていくのである、っていう浄土真宗の教えってとてもよくわかるんだけど、きっと多くの人はピンとこないだろうな。

だからきっと現世利益になりそうなマニ車をみんな一生懸命に回すのだ。



荘厳なお寺で贅沢な座禅を味わい、幸せな時間であった。
そんな貴重な時間があったことがなにより大切なのだと思う。


すると帰り道にこれをみつける。



ヴィヒタ!!ヴィヒタやないかい!!!


これは白樺の葉である。これを適当なサイズにくくりつけて束にしたものがヴィヒタであって、これでサウナの中でペシペシと身体を叩くことで、「マッサージ効果」「発汗作用促進」「殺菌・消毒作用」などの効能があるといわれており、なんせロウリュでお湯に漬け込んでおくと香りが良い。


あの愛知県のウェルビー名古屋ではいつもお世話になっているヴィヒタが。


まあ北海道もそうだけど、湿度が低くて寒いところには、白樺がけっこういっぱい生えているので、ヴィヒタいっぱいつくりたいところだけども。

ああ、ヴィヒタが使えるサウナがもっと増えたらいいのに。



と、結局は貪瞋痴のどれも克服しきれてないのであった。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。