犬が仲間になった
僕のように古い物語をしっかりと理解してしまった場合、日本においては、犬が人間の仲間になるためには、きびだんごが必要だと思っていたけれど、そうじゃないんだということがわかった。
いや、そりゃペットショップに行ってお金を払えば仲間にはなるけれど、それはきびだんごの代わりにお金を払ったのであって、そういう意味では今回の犬が仲間になった件については、つまり「家があったから」だ。
ややこしいことを言ってみたのだが、つまりシンプルに言えば「住民の前田君の飼い犬が引っ越してきた」ということだ。
彼は「まめた」という名前があり、マメ柴である。
マメ柴といえば、佐藤二朗の「幼獣マメシバ」なのである。
幼獣という名目でドラマがひとつ出来上がっているだけあって、なかなかの魅力的なかわいさで佇んでいるのである。
ちなみに。
僕は犬が大好きだ。犬が死んでしまった日のことは、今もすぐにでも思い出せるし、そのことについて昨年も話す機会があったときに涙が出てきたほどに、犬と暮らす日常というのはとても素晴らしいものだと思っている。
なので今回のマメ柴が我が家にやってくるという事件は、ものすごく重要な事件なのである。我が家を、僕の人生を揺るがしかねない大きな事件なのであるが、ひとつ困ったことがあるようだ。
なにか。
うるさいのである。鳴き声がめちゃくちゃうるさいのである。
尋常じゃないほど吠えるらしく、昼夜問わずこれが吠え続ける、エネルギーの塊のような存在で、もうひたすら「僕はここにいるぞ、かまって!!」と言い続けるらしいのである。彼はとっても健気なさみしがり屋で可愛い存在であることに疑いようはないが、我が家の隣近所というのは、それなりに離れてはいるものの、なんせひたすら静かな田舎である。
あまりにも大きな声で夜中に叫び散らすのは、まあまあ困ったやつである。
ちなみに大阪では、困ったやつのことを、「ごんた」または「ごんたくれ」というのであるが、こいつぁまさに「ごんた」じゃないかと思うのである。
正式名称は「まめた」であるが、彼は「ごんた」である。吠えている限りは「ごんた」であるので、彼はもう完全に「ごんた」としての位置を確立したような気がするので、家に帰ったら彼を「ごんた」と呼ぼうと思う。
散歩している「ごんた(まめた)」である。
新しい仲間として、我が家に参加してくれた「まめた」いや「ごんた」は、急に富山県から兵庫県にきてさぞ心細かろう。彼の寂しさに寄り添いつつ、隣近所に対する配慮を覚えてもらいつつ、徐々に穏やかで落ち着いた小さな成犬として育っていってくれたらと思っている。
ごんたがまめたになる日はいつか。
急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。