性の話はタブーな空気感

いや、書かない。決して核心的なことは今日もここにも書かない。


でもなんだろうか、なかなかのハードルというか誤解につながるような危機感を感じて躊躇う。普通に話しててもなかなかカフェとかで性に関する話は小声にしとこうかな、という気持ちになるし、なんとなくそんな話するもんじゃありませんってなるのは僕だけではあるまい、そうじゃなかったらもっとカフェでそんな話をした経験が豊富なはず。


とある際に連絡を受けた人生相談案件に関する話だが、その時は出会うまではどんな理由で悩んでいるのかって話は聞いてなかったわけだが、お会いして話を聞くところ、いわゆるパートナーシップに悩む問題であった。

最近は僕なんかは男性相談窓口で受ける相談の25%くらいはセックスレスの話なもんですから、まあパートナーシップやらそれらにまつわる性の話についてもなんとなく話せる知識も経験なくはない。

とはいえ離婚してるので、うまくいくパートナーシップとやらのアドバイスができるものか甚だ疑問ではございますが、懺悔の気持ちで自分なりの感想くらいは話せるかもしれないか、って思って一生懸命に耳を傾けていた。


結果的には「夫婦の性の話」をすることによって解決の糸口がみつかって、実際にそれもとても良い方向で話が進んで、ものすごく喜んでもらえた。


「え、こんな話できるんだ自分。というか、その話をするんだ自分。」


これがその際の自分に対する感想。

意外なほどそこにしか解決策が見出せないと思えたため、割としっかりと理由を説明した上で、そこは目を背けることなく二人でちゃんと大事にしていくことをお薦めし、うまく解決する方向に歩みだしておられるのであるが。


「この手の話はめっちゃ大事やな。しかし難しい。」


とも思った。この手の話はなぜセンシティブなのかがちょっとまだ理由を解明できていないものの、みんなが避けて通る道。

茶化して下ネタとして話すのではなく、まじめなコミュニケーションとしての性に関する話が、どうもできてきてなかったけれど、ものすごく大切なことを疎かにしてきているように感じた。


んー、まあとはいえ、急にその手の話をするためにイベントを立ち上げるってのも僕はまだハードルが高い。心理的ハードルなんてそうそうないのに、この手の話に対する危機感が高くてなんか自分がおもしろい。

なぜその話を避けようとするのか、考えておきたい。
この話をスムーズにできるとしたら、たぶんかなりの心理的安全ヤロウだ。


急にこんな話が出てくるのは、2050年以降の未来の話をしていくとき、人間にとっては体躯(たいく)が本当に重要なのか、機械の身体はどこまで代替ができるのかというテーマの問いがあるからでもある。

VR分野がすこしずつ世の中に入り込みつつあるが、インターネット分野と同じくして、まずは男性側の性的(つまりエロ)な分野から広がっていくという予想はされているし、そりゃそうだろうと思う。欲望にはカネが動く。


性交渉に必要なコミュニケーションの摩擦を超えて、実際に行為に至るまでの煩わしさをVR世界では思い通りに疑似体験が出来るようになるかもしれないという話は、ネットニュースを調べるくらいのリテラシーがある男子なら当然知っているはず。そんな世界は全然遠いものではなさそうだ。


そのときリアルに人が触れ合うってなんの意味が、嬉しさが、喜びが、幸せがそこにあるんだろうなー。孤独や退屈を埋めるなにかがそこにありそうな気がするし、それをVRが埋められるものなのかどうか、はとても重要なことだと思ってたりもする。


そしてそんな技術的な話はさておいても、いまここにある孤独、寂しさ、行き違いの解決にはきっと大事なのだろうと思っていて、でもなんで、その大事な話を全然しないまま生きて後悔しちゃうのかってことが気になるのだ。


お金の話に加えて「性」の話が研究課題になった。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。