個性で生きることにつながる

今日はADHDに悩む当事者の方々が集まる会合を長く開催されている南さんと打ち合わせを行い、「小商い塾にその可能性がある気がするんです」ということを伝えてくださって、ハッとした。まじか、そうじゃん。そうだよ。


このなかなか、きちんとしたことが良いとされすぎる(と僕のような人間は思ってしまう)社会において、自己嫌悪にすらつながる不注意なところが、なんとか奇跡的に理解してもらえて生きていられるからこそ、ぼくはなんとかこうして気持ちよく生きていられる。

ちょっと知識ある人ならば、僕のような人は、少し話しただけで「多動性。注意欠陥もね。」と一目瞭然でADHD傾向を見抜かれてしまう。それくらいわかりやすく僕の特徴は際立っているのだと思う。


でもだからこそ僕は僕の個性で生きることができている。


それはまさに、そうした個性が生きることをサポートすることができるってことだ。自分の個性で生きるということが、社会の普通に適応しづらい人にとって、もしかすると奇跡のように喜んでもらえる可能性があるってことに今日気付かせてもらえた。めっちゃありがたい。


なんかホントいろいろやっとくもんだなと思う。こんな風に自分が誰かの役に立つことが増えていくってことがとってもありがたいことだ。


進むべきことは、なんかよくわからないけど広がっていく。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。