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今日が過ぎていく

朝は白川郷にて目覚めたあと、7時のバスに乗って新高岡駅から新幹線はくたかに乗車して一路東京へ向かった。

合計5時間以上をかけて東京にきて、霞が関や八重洲あたりでいろいろと仕事をする暮らしを豊かというべきか、または慌ただしいというべきか。

しかも一昨日は丹波から新大阪まで2時間かけて移動してて、昨日は新大阪から4時間以上かけて名古屋経由で白川郷へきてたわけで。これはもはや、慌ただしいという言葉でしか言い表せない。これはありがたい、けれども。

いよいよ僕の暮らしを変えていきたいという気持ちが湧いてきた。

ふらふらと日本を回って暮らせることはわかったし、これを続けていくことは可能だと思う。しかしこれを続けていきたいというわけではないなあと、いよいよ自分の中で確信を得てきた。これはもう十分に満たされたと思う。

あらためて、そろそろ自分の家に帰る暮らしをしようかなと思う。

僕はすこしずつ、自分の家に帰るための準備を始めた。そしてこれまでは目を背けてきた自分の特性に向き合い、自分の繊細さを捉え直し、逃げてきたと自覚していることに向き合い始めた。

素敵だなと思うものをちゃんとつくりあげ、その暮らしの中に生きていくということが自分に相応しいと思えるようになってきた。雑な暮らしに耐えることはできても、わざわざ好んでやっているわけじゃないと言えそうだ。

求めるものが決まれば、不思議と世界は動き出すもの。ただそれは、なにも不思議なことではなくて、自分がそこに注目し、兆しを捉え、確実に自分事でその情報に向き合っていくからだ。

何も不思議なことではなく、自分で決めたらそうなっていく。これまでもそうして生きてきて、これからまた新しい生き方を始めただけのこと。

とても自分自身が気に入ってるのは自分の望むものにとても素直であること。そして信じたことは叶うと確信していることだ。

だから実現を疑うことはないし、いろいろな予定外はあったとしてもあとは時間をかけてやっていって、イメージした世界を目の前に具現化していくだけ。

そんな気持ちの中で今日も過ぎていった。
とても好い日だった。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。