生きる言い訳を手放していく

先日、催眠療法のようなものを受けてきた。催眠術みたいなものではなく自分の中にある、普段は気づいてないものにゆっくりと自分自身が降りていくようなかたちで近づくために、催眠状態に導入を支援してもらうものだ。


テレビ番組でやっているような「ガターン」という感じで入るというよりも、自らその状況にあえて集中して入り込んでいくような、そんな感じ。

まあちょっとわかりづらいので興味がある人はいつでも紹介するし、とても良い体験だったので、信頼できる臨床心理士さんなどにサポートしてもらって心理療法で自分の内面を確かめるのはとても良い学びの機会だと思えた。


僕の場合は、すこし前提の説明が難しいけれども、自分の前に生まれる予定であった存在がいたことを自覚していて、その存在が生まれたほうがよかったかもしれないけれど、それでも自分は生きる機会を与えられたのだから、そのぶんまで生きなくちゃいけないという思いが自分を生かしていたということまでは、自分なりに生きることを解釈して理解していた。


ただ、この点にこだわって生きることについて、ある種の自己陶酔があったのではないかと言われれば、たぶんあっただろうということもあるし、また自分自身の生きる意味についてこれ以上突っ込まれないような最善の手段としてうまく、あざとく、利用していたような気がして倫理感が発動した。


生きることと死ぬことについて、僕はとても真面目に考えていることを自覚しているわりに、そうした生まれる機会のなかった存在を盾にして、自分の生きる意味について追求しきれてない点を攻められないように、またそんな風に自我から離れた境地にいるような錯覚に陶酔していたいがために、その存在にその役割を担わせたような罪悪感に気づくことになった。


たくさんの暖かい優しさを受けて、僕は生きることができていて、生きる意味についてももはや悩むことはない。ただ、ある時期において、あまりにも繊細であったときに、そうした存在に理由付けして生きていかないと苦しくて仕方なかった時期があったということを、いまはぼんやり記憶している。


催眠療法を通じて、もっと違うことをしたかったのだった。


英語がペラペラになりたいので、英語に対してメンタルブロックがあったら取り去ってください。とか。

ビジネスで一定の成果を収めないと信用して耳を傾けない存在達にも、一定の学びに耳を傾けてもらえるためにビジネスをやる方法もあるが、まだそれを強く振り切っていないのはなぜか。メンタルブロックがあれば取り去ってください。とか。


わりと生きる上においてわかりやすいメリットがありそうなことを、催眠によって獲得できたらたいへんな儲けもんやなあなんてワクワクしていたのだが、なんのなんの、自己内省にがっつり入り込んでしまった。


自分が一時期はたしかに、自分を死なせないために言い訳して、ある存在が自分を生かしてくれたのだから、僕はそのためにも死んでられないんだっていうことを言い訳にすることで、誰にも突っ込まれず、ある種の同情のようなものもあつまり、みんなが共感したり、自分のトラウマについてもむしろ話し始めてくれるきっかけになったりと、悲しかったことの自己開示はとても人と人との距離を埋めるのに効果的に働いていたと思う。


その合理性に気づいたのは最初ではなく、ある日に急にこれは。。。と思ったのだと思うが、さすがにそこまでの記憶もない。


それでもそんな言い訳にされた存在にすればたまったものではないよなあとも思うのだ。勝手に自分を言い訳に生きようとしてんじゃないよ、と。別にそんなの知らないから、勝手に生きて勝手に死んでくれよ、と。


そしていつまでもそういうあざとさや卑怯さで、周りにイメージを作り込むのはやめなさい。いつまで情けない理由で生きようとしてんだよ、アンタ。


そんな風に言われたような気がする。気が強くて、意地張ってて、プライドが高く、感情的になりやすくて、そうなると話せなくなるような存在だなと感じた。なかなか苦手なタイプが自分を一時期助けてくれたものだ。


だからこそ、その時期に対して感謝が足りないなと思ったし、僕自身が生きていく上で必要だった経験をさせてもらえたことに対して、その存在やら、他にとあるタイミングで生を受けているかもしれないその存在に対して、ふとしたとき感謝をする気持ちがあったかといえばなかった。自分がいま生きていることに対して、うまく説明できると思い込んであぐらをかいていたような気がする。


僕は僕で生きていく。
言い訳はいらないのだ。


だから一緒に生きていてくれてありがとう。


そんな風に思うことをもっと増やし、頼りにしてきた精神的な存在に対して感謝の念をもって生きていくんだということを感じた。


そんな時間だった。
そうとう貴重な体験だったと思う。

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