なにをクリアすれば一緒にいられるの?

世の中にはそういう問いがあり、それは本当に怖いものだと思っていて、僕はそれは多くの人に、恐れと共に生きる気力を与え、孤独感とともに絶望的な気持ちを味わわせるものであると確信をしている。


そしてできることなら、なんの条件もなくここにいていいんだよ、ということがひとりでも伝わるといいなと思って生きている。

だれも何者にならなくたって、自分がそのまま生きていていいと僕は思うし、僕は僕の関われる範囲でしか出来ないけれど、僕の範囲でそのことを伝えたり、そうしたことを具現化させていたいと思い続けて生きている。


そもそも「なにかをしたから、そこにいるのを許す」という条件付けをした人も言葉も僕の記憶にはなく、そこは両親が子育てをする中できっと、その言葉を僕が認識して生きるような言葉選びをしなかったのだと思う。それは本当に恵まれたことだと思うし、とても感謝している。

ただ、それでも明らかにそうした条件付けの中で生きることになっている人がいることもよくわかっていて、それを持ち続けているがゆえに苦しんでいる人たちともたくさん関わってきている。


いろいろ言いたいが、ぼくはここにいて、この自分ひとりでは生きていけないからみんなに助けてもらって生きているという姿を示すことで、生き易く思う人が増えてくれたらいいなと思う。

なんか、ちょっとだけすごそうなことをしてそうで実はなんもしてなくて、ただ忘れものや落としものをしても落ち込むことがないという暮らしをしているだけのおじさんだと知って、安心して、いろんなことを失敗しながら、たまたまうまくいったりしていくことを楽しむ人が増えてほしい。


そして別に何かしてもいいし、しなくてもいいし、笑ってても泣いてても、怒ってても幸せにしていても、別に何しててもいいから、条件なんかそこにないんだっていうことを感じて暮らせる、そんな安心が生み出せたらいいなととにかく思って今日もただただ生きている。


なにもクリアする必要なんかないから、不安にならずに、とりあえずそんな感じで不安に思っている人たちとともに一緒に暮らせたらいいなと思う。

普通にみんなで忙しく毎日を過ごし、眠たくなったら寝て、目が覚めたら起きて、身の回りにあることのうちやれそうなことがあるならやってもいいし、やる気がでないならぼーっとしててくれれば、いいなーと思う。世間でも、他人でもなく、他でもない自分に、追われずに生きていてくれたらいいなと思う。


すべては自分が条件付けをされて生まれ育ってきた中で身についた思考の癖のなかにその根っこがあり、それに苦しんでいるのだから、その根っこにさえ気づけば、ゆっくりと引き抜いて、新たな種を蒔くことができるから。


なにかをクリアすることなんか必要ない。
なにもクリアしなくてもそこにいることを誰も否定しない。
否定するような場所なら離れて、こっちへくればいいのだ。


そんな風に胸を張って言い放ち、受け入れられる、そんなことをこれからも小さくても少しずつやっていけたらいいなと思う。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。