第6話 愛すべき変わり者たち

 カナディアンロッキーでトレッキングを一通り楽しんだ後、アメリカに入った。くだんの大陸横断自転車旅でこの国の持つ美しい自然に魅了されて以来、かれこれ四回目、三年ぶりの訪問だった。そうは言っても、いつも中西部のアリゾナ州やユタ州の荒涼とした大地と奇岩が見られるあたりを回っていたから、北部アメリカは今回が初めてだ。
 モンタナ州に広がる何もかもがバカでかい穀倉地帯を十日程走るとイエローストーン国立公園の入口に着いた。
 イエローストーンは世界で初めて国立公園として保護されたエリアで、アメリカ人の自然観を象徴するような場所である。園内は国立公園法が適用され、ありのままの自然を手を加えずに保護し、後世に残していくことを基本原則としている。だから、園内で自然発生した山火事も自然の一つのサイクルとして消火活動は行わない。手つかずの自然と野性動物たちが保護されているここでは人間はただの訪問者にしか過ぎない。気の遠くなるような価値観で地球を守ろうとするアメリカはやっぱりすごい国だ。
 アメリカ屈指の人気国立公園ということで、ここには世界中の自然愛好家たちが集まる。それは自転車乗りとて例外ではなかった。
 公園入口の手前にあったキャンプ場の水道場で一人のアジア系の男に声をかけられた。
「アーユージャパニーズ?」
「あ、はい」
 カタカナっぽい英語の発音で、その男は日本人だとすぐに分かった。そして日焼けした肌と手に持っていた一人用の鍋を見て、自転車乗りだということもすぐに分かった。
 明石さんと名乗るその人はアラスカから走ってきたそうで「この旅で初めて日本人に会った」と真っ黒な顔をほころばせて喜んだ。
「僕だって日本人旅行者は初めてですよ!」
 ひょんな所で自転車乗りと出会う話は、本や噂で知ってはいたけど、実際に出会ってみると、その嬉しさは半端じゃなかった。
 僕らはお互い水場に来た用事も忘れて、お互いの旅の話をした。
 カナダでユーコン川をカヌーで下っていたら山火事に遭い、岸に寄れずに恐ろしい一夜を過ごしたこと、モンタナのキャンプ場に泊まったらテント泊なのに八〇ドルも取られてしまったことをトホホと話してくれた。それになんといっても僕が行けなかったアラスカの話をたくさんしてくれて、「やっぱりアラスカから始めばよかったかなぁ」と羨ましくなった。
 期間と資金の関係でメキシコまででお終いという彼も、僕が南米を目指していると言うと、悔しいような羨ましそうなトーンで「いいなぁ」とつぶやいた。
 チャリダー。自転車旅行者を指すその言葉の響きだけでお互いの苦労や喜びそういったものが一瞬で理解しあえて、何年も前から知り合いだったそんな気持ちになる。戦友という言葉がまさにぴったりだ。
 一通り身の上話をし終えると、明石さんは「そうだ」と思い出したように声をあげ、自分のテントが張ってある方を見た。
「実は今、もう一人アメリカ人のチャリダーがいるんだよ」
 そこにはひょろひょろとした体格でサングラスをかけた白人の男がいた。
「やぁ、僕はアツシ。君もサイクリストなんだって?よろしく!」
 明石さんに出会えた興奮そのままに僕はその男に声をかけた。
「あぁ、僕はスティーブだよ。」
 なんだかつれない態度に僕は少し肩透かしを食らった感じはあったが、スティーブの顔をよく見たらまた僕のテンションは一段階あがった。
「ああぁー!オマエは!この間、とつぜん道を聞いてきたヤツじゃないか!オレだよ、オレ!交差点で会ったオレ!」
 僕はスティーブに会ったことがあった。三日前、僕がボーズマンという街を散歩していた時に道端で自転車屋の場所を聞いてきたのがこの男だった。明らかにアジアからの旅行者だと分かる僕に道を尋ねるなんて変な奴だな、申し訳ないけど分からないよと会話をしていたのだ。
 こんなに広いアメリカでこんな再会もあるもんなんだな、イエローストーンの引力ってスゲェー!
「ん?そんなことあったか?記憶にないな」
 しかし、当の本人は全く覚えていなかったのだった。…まぁいい。聞けば二人もこれからイエローストーンを走るそうじゃないか。なんだか面白くなりそうじゃないか。

 翌日から僕らは国立公園に入場して園内を走り出した。国立公園は四国の約半分というバカでかさで、間欠泉が吹き出す場所や、滝が流れ落ちる渓谷ゾーンなど大きく五つのエリアに分かれている。
 国立公園のキャンプ場にはたいていハイカーズサイトというトレッカー向けのキャンプサイトがあり、トレッキング客や自転車旅行者が一つの場所をシェアすることで格安で宿泊することができる。僕らは一日をそれぞれ自由に走り、園内にあるハイカーズサイトで合流することにした。
 マンモスカントリーという温泉がたくさん湧き出ているエリアでのことだ。ミネラル分が固まって棚田状になっている。ちょうどトルコのパムッカレのような場所である。ただし温泉は熱過ぎて、パムッカレのように入浴することはできない。
 しかし、一カ所だけ入れる温泉がある、という噂を僕らは耳にしていた。
マンモスカントリーの棚田からずっと下った場所から沸き出す温泉は、近くの川と合流していてちょうどよい湯音で入ることができるらしいのだ。
 噂の場所へと向かってみる。開けた気持ち良い場所の、勢いよく川の流れる端にうっすらと立ち上る湯気があった。そっと手を入れてみると確かにそこにはちょうど良い湯音の温泉があった。
「やった!温泉だ!!」
 すぐさま服を脱いで温泉へと浸かる僕と明石さん。
「ふぅぅ~、極楽ゴクラク」
「やっぱ日本人は温泉っすよねぇ」
 自然保護の観点から、園内のキャンプ場にはシャワーがないためこの温泉は願ってもない場所だった。考えてみれば、この旅で初めての温泉じゃないか。それがこんな最高のロケーションなんて。
「ロッキー山脈の恵みよ、ありがとう!」
 二人でニコニコと悦に浸っていると、一足遅れてスティーブもやってきた。なぜか温泉だというのに、つばの長いハットと首元を隠すスカーフを垂らし、サングラス、パンツ一丁に靴下というおかしな格好だ。そしてその格好のままザブザブと温泉に浸かり出した。なんて格好で温泉に入ってるんだ。
 その理由を尋ねると、スティーブはこんこんと紫外線の恐ろしさについて語り出した。紫外線の影響は今はよくとも後々現れる、皮膚ガンになる可能性だってあるんだぞ…と。
 そういえば、この男は普段走るときの格好も、ハットと長袖シャツに、長ズボン、フルフィンガーグローブに手首にはリストバンドをつけていたが、あれは紫外線から体を守るためだったのか。
 それにしてもそれほど紫外線を嫌っているくせに、一日中太陽の下で過ごさなくちゃならない自転車で旅行するなんてとんだ変わり者だな。
 自転車旅行者には変わり者が多い。というかこの広大な地球を自転車で走ろうと思うのだから変わり者しかいない。
 おかしな格好で温泉に入るスティーブを見て、彼が僕と初めて会ったことを全く覚えていなかったことを改めて納得した。要は変わり者は他人を気にしないからである。
 でも僕は、そういう変わり者が好きである。それは自分自身がそうであるという自覚が大いにあるからということもあるが、それ以上に、変人になればなるほど人間味が溢れていてそれを隠せないやつらが多くて、それがにじみ出る瞬間が大好きなのだ。

 ある日のキャンプの夜である。いつものように僕らは三人でハイカーズサイトにテントを張って、互いに一日の成果を報告しあっていた。
「今日はバッファローに道を塞がれちゃって怖かったっすよ」
「俺なんて今日あの林の中でグリズリー見ちゃったよ」
「明日はどこまで行く予定?」
「じゃーん!見て下さい。今日は売店で肉が手に入ったのでステーキです」
 各々食事の準備をしながら、そんな会話が弾むのだが、スティーブだけは料理をしない。彼は調理道具を持っていなかったのだ。
 じゃあ彼がどうやって食事を摂っているかというと、自転車の前輪左につけたカバンにびっしりと入っているナッツを食べていた。それ以外の食べ物を彼は食べず、果ては僕たちにいかにナッツが素晴らしいかを説きだした。
「ナッツは旅に最高の食材さ。栄養価が高くて保存が利いて軽い。それに調理をする必要もないから鍋も水も必要ないのさ」
「お、おう…」
 確かに彼の言うことも一理あるが、それにしてもナッツだけである。毎日同じものを食べるのも考え物じゃないか。全くこれだからアメリカンは…。
 そんな彼にいじわるのような質問を尋ねてみた。
「毎日ナッツで飽きないの?」
「…飽きないさ」
 僕はサングラス越しのスティーブの瞳が若干たじろいだのを見落とさなかった。それは他のものもたまには食べたいと言わんばかりの目だった。
ははーん。きっと意固地になって引き返せなくなっちゃんだろうな。安心しなさい、変わり者は変わり者の気持ちが分かるから。
 間もなく今日手に入れてきたステーキ肉が焼き上がった。
 もうもうとうまそうなニオイを立てている肉を、彼はナッツのボトルをポリポリと食べながら横目で見ている。
 僕はスティーブに聞いてみた。
「食べる?」。
「…食べる」
 横から明石さんも付け加える。
「ラーメンもあるよ?」
「…うん、食べる」
 ふふふ。
 人間味を隠し切れない、こんな愛すべき変わり者が僕は大好きだ。

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