第27話 最果てのご褒美

「お、自転車かい?パン屋はあっちだよ。」
「パン屋だろ?まっすぐ行ったところさ」
自転車旅行者と見るや、こちらが聞いていないにも関わらずパン屋を案内される不思議な街がある。
フエゴ島のトルウインという小さな街のことだ。この街のパン屋では自転車旅行者を受け入れていて、泊めてもらうことが出来るそうだ。南米のゴール、ウシュアイアまであと一〇〇キロという位置柄、すれ違うチャリダーたちからこのパン屋の噂はよく耳にしていたが、こうして街の人々に知られているまでに有名ということには少々驚いた。
そういえば、街の入口には「Buenbenidos Corazon De La Isla(島の心臓部にようこそ)」と書かれた看板があったけれど、なるほど、これはハートウォーミングな街へという意味なのかと一人で納得した。
それにしても、パタゴニアに来てからというもの自転車旅行冥利に尽きる嬉しい体験が実に多い。この直前に訪れたチリ・アルゼンチンの国境の待合室なんかも旅行者に開放されていて、宿泊が出来る。それも暖房・キッチン付きという好待遇で。僕は以前、別な国境に立ち寄った際にも国境を警備する軍の施設に泊めてもらっていたが、泊まれる国境なんて世界広しと言えどもパタゴニアぐらいしかないだろう。
けれど、普段は排水管のダクトや橋の下なんかで一晩を明かすこともある僕らチャリダーだから、少しぐらい良い思いをしたって罰は当たらないはずだ。パタゴニアの自然は時として厳しいけれど、そこに暮らす人々は、開拓者ならではの優しさで僕らを受け入れてくれた。
パン屋へと向かうと「よく来たね」とおじさんが迎えてくれた。彼に案内されて、離れの小屋に向かう。「La Casa De La Amistad(友情の家)」と名付けられた部屋は、いくつかのベッドと、水色と緑色を足した淡い色の壁一面にぎっしりと手書きのメッセージがあった。どれもこれも、この世界の果てを目指して走ってきたやつらが書き残していったものだ。
しげしげと壁を眺めていると、南米の各所で出会ったチャリダーたちの名前を発見した。
「あいつらもここに泊まっていったんだな」
壁の文字はやけに立体的で柔らかな温もりを放っている。みんな、この先を目指してやってきたのだ。世界の果てまで、さぁもうすぐだ。
 
「昼食に」とパン屋特製エンパナーダを持たされてトルウインを出発すると、無窮に続いているかに思えたパタゴニアの荒野が、南極ブナが青々と茂るツンドラの森へと変わった。街の背後には末端部と言えども凛々しい山容のアンデス山脈が横たわっている。
とはいえ、あれだけ高く長く大きかったアンデス山脈も最後の峠、ガリバルディ峠ではたったの標高四三〇メートルしかない。南米のエンドロールは余韻に浸る間もなくたったの一時間で登り切ってしまった。
峠を越えた先の森の中でキャンプをした翌日、緩いカーブを右に曲がると一〇メートル程の四角い石柱が道路の両脇に一本ずつ現れた。柱に埋められた木のレリーフにはずっと目指し続けていた「ウシュアイア」の文字が刻まれていた。ついにやって来たのだ。
ウシュアイアの街は、夜が明けたばかりの朝日が海面や朝露で濡れた木々に反射してやたら眩しく見えた。まだ朝の七時で人の姿はどこにも見当たらない。僕はまだ惰眠を貪る最果ての街を一気にパスして、その先にある道の終点へとペダルを回した。
ラパタイア湾に辿り着いたのは午前九時三〇分を過ぎた頃だった。湾に出る手前に建てられた木の看板に「国道三号線の終点」と記され、その先の桟橋で道は途切れ、ビーグル水道が広がっていた。
ちょうどこの時間帯からツアーバスに乗った観光客が続々とやってきたので、僕は最果ての余韻に浸る間もなく、彼らにもみくちゃにされて祝福された。特に台湾からの団体からは次々に「You are my hero」と言われてしまい、嬉しいような恥ずかしいような気分だった。でも…
「最果てにやってきたのだ」

ラパタイアが南米大陸のゴールならば、ウシュアイアの街外れにある上野山荘は南米旅のゴールだ。この街に移住した老夫婦がひょんなことから旅人を自宅に泊めたところから始まった世界の果ての日本人宿には、名物の五右衛門風呂があって、この風呂に入って旅の垢を落として南米大陸を締めるのが、かれこれずっと続く習わしだ。僕もここを目指してやってきた先輩たちに倣って、五右衛門風呂に浸かった。
翌日、モトミくんも上野山荘にやってきた。やれやれ結局、つかず離れずでこの男とは南米の最初と最後を迎えたことになる。そして時を同じくして、パタゴニアには向かわず、ブエノスアイレスからモロッコへと向かったサヌキくんからも旅を終えたとの報が入った。
「全くよぉ、けーっきょく俺らは最後まで一緒かよ」
「そんなこと言わないで、お祝いしましょうよ」

上野山荘に居合わせた他の客とコルデーロのアサード(子羊のBBQ)をしたりセントロをぶらついたりして、数日を過ごした後、僕らは港に自転車を走らせた。そこには「Fin del mundo(世界の果て)」と書かれた看板があるので、二人で記念撮影でもするかと相成ったのだ。
有名ポイントだけあって、そこで記念写真を取ろうとするツーリストでいっぱいだ。写真を撮るタイミングを脇で待っていると、モトミくんが何やら誰かと話をしていた。以前にどこかで知り合っていたチャリダーらしい。非常に風の強い日に会っていたそうで、二人は生き別れになった兄弟に再会したかのように抱き合い、互いの無事を祝っていた。
しばらくしてようやく看板が空いたので、三脚をセットし撮影の準備に取り掛かった。
「よし、画角はオーケー、あとはタイマーをセットして…。ん?おいおい、後ろに誰かいるよ、どいてくれよなぁ…ってアレは!?」
カメラのモニターに写った影の持ち主に向かって僕は「アラン!」と叫んだ。アルゼンチン中部のリベルタドーレス峠で出会って以来、各地で再会しているイギリス人チャリダーだった。
「おぉ!」とアランも僕に気付いた。そして彼の後ろからは次々に見慣れた顔が現れた。マティアスにアンドレア、それにフランス人のレネだった。アウストラル街道終盤からたびたび再会を繰り返していた三人だった。
「ヘイ、みんな何でこんなところにいるんだよ!?」
「こっちのセリフ!いま着いたのか?」
彼らと最後に会ったのは一カ月以上も前だ。その後僕は氷河の見られる小さな街で休養も兼ねて三週間程のんびりしていた。だからもう彼らには会えないだろうなと思っていたのだが、聞けば、彼らは彼らで南極行きの船をずっとこの街で待っていたらしい。その南極行の船の出港がちょうど今日ということで港まで出てきたそう。なんてタイミングの良さだ。
彼らとは特にいつもタイミングを合わせているわけでもないのに、示し合わせたように再会を繰り返していた。街一番のスーパーに買物に行った時、インターネットを繋ぎにカフェに寄った時、ふらっと散歩に出かけたメインストリートの街角で…。国籍も旅のスタイルも歳だってバラバラなのに、自転車という唯一の共通項だけで、こうも強い結びつきに導かれていた。それにチャリダーっていう人種は、これ程にも行動のチョイスが重なるものなのかと笑えてくる。
僕らは、「道」を拠り所とする生き物だ。どんなに離れていても、道が良かろうと悪かろうと、道を辿っていけばいつかまた巡り会える、そんな観念がいよいよ体の底から理解できるようになってきた気がする。この一点において、自転車は出会いを導く何よりも優れた乗り物だ。だから再会は、最初は驚いたとしても、すぐに何事もなかったかのように打ち解け、お互いの旅の話になる。風はどうだった?俺の時はものすごい追い風で四〇キロ出たよ、とか、一輪車の彼女には会った?会った会った、ありゃあびっくりしちゃうね、なんて。
それにこう何度も再会を繰り返すと、お互いのことを分かるようになってくるから冗談が言いあえるのも嬉しい。
アンドレアが僕に言う。
「ヨーロッパに行くって言ってたよね?私たちはまだ旅を続けるからスイスを案内できなくてごめんね。でも一つだけあなたにアドバイスをするわ。スイスに入ったらペースダウンしなさい」
「何故?」僕が尋ねる。
「何故って、あんな小さい国、あなたは一日で走り切っちゃうからよ!」
「確かに」
僕らはゲラゲラ笑った。
中米、アンデス山脈、アウストラル街道…。時期も、場所もまったく違う所で会った仲間がこうして一同に集結するとはその当時思いもよらなかった。ウシュアイアの街自体はツーリスティックで何の面白みもない街だけど、それぞれの道を辿って、僕らはここを目指してやってきたんだなぁ。道の終わりに待っていた数々の再会は、何よりも嬉しい最果てのご褒美だった。
「よし、じゃあ撮るよー!ウノ、ドス、トレース…」
「イェーーーーー!!!」
世界の果てはけっこう賑やかだ。

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