第18話 南米の屋台骨

 二日前程からぼんやりと向こうの景色に見えていた黒っぽい影。ついにそのシルエットをはっきりととらえた。北はコロンビアからアルゼンチンの南の先端までひたすら続くアンデス山脈である。いよいよ南米の屋台骨が僕の前に立ちはだかったのだ。
 今朝の天気はもやもやとしていて冴えなかったが、そろそろ雨季が近いのだろう。山から流れ落ちてきた川の色は見事なまでのチョコレート色だ。憤怒の如き勢いでごぉごぉと濁流が流れている。
 川に沿って麓の街までやってくると道端にはホースが三〇センチ間隔で置かれていて、山から流れてきた水を吸い上げブシュウゥっと空に向かって豪快に放水されている。その水を利用してトラックの運転手たちが洗車をする様子を見かけた。僕はごくりと唾を飲み込んだ。なぜならこの溢れんばかりの勢いで水が流れ落ちてくる山に向かって僕は突入しなければならなかったからだ。
 橋を渡って川を越えると、途端に上り坂が始まった。時折、恐ろしく急な壁のような坂が現れて行く手を阻んだ。僕は一番軽いギアにして挑んだのだが早々に立ち漕ぎをすることになり、一五分程踏ん張ってみたが、坂道はカーブを曲がれども曲がれども延々に続いている。まだ上り始めの低地だから気温も湿度も凄まじく高い。
「ぐあっ、こいつを上って行くのか…」
 ロッキー山脈やメキシコ、グアテマラの山岳地帯を走ってきて、それなりについていたはずの自信はここであっさりと砕かれてしまった。しかし、そこで呆然としていても状況は変わらないので、立ち漕ぎと押しを繰り返し地道に標高を稼ぐ。体は相当にしんどいが、追い越してゆくトラックが鳴らす応援のクラクションが気持ちを後押ししてくれる。まだ午前中の山は大量の水分が蒸発してもうもうとした霧を発生させている。雲霧林を抜けると熱帯の森が徐々に高地の森へと植生を変えていった。

 二時間半ほどかけて二〇キロを進むと、少しだけ傾斜が緩くなった。どうやら山の稜線に出たらしい。見通しの利くひらけた地形に出ると、湿度はいくらかマシになった。それどころか肌寒くなったので、慌ててびしょ濡れになったTシャツを脱いで、それを絞ると信じられない量の汗が出た。
 一筆書きの尾根道が緩く下った先に赤茶けた斑点が密集しているのが見えた。街だ。しかしなんという場所にあるのだ。遠目から見るアンデス山脈の最初の街は、こぼれ落ちそうな稜線上に拓かれていて、ガスった周囲の山岳風景の中にポツリと浮かんでいた。写真で見た天空都市マチュピチュのイメージが頭によぎった。
「なんて幻想的な街なんだろう」
 実際に街に入ると、そこはロマンなどどこにも感じられない生活感に溢れる街だったけれど。
 ここで昼食をとって再び走り出す。道はさらに空へ空へと延びている。気温はずいぶんマシになったが傾斜は再び険しさを増していった。

 それからこの日は結局六〇キロを走り、二四〇〇メートル地点まで上った。今朝の標高が二〇〇メートルだったから実に二〇〇〇メートル以上上っていることになる。
 そこにあった街も不思議な街だった。牛が放牧されているような緩やかな高原地帯も辺りにはあったにも関わらず、街は辺りでも最も急な山の斜面に張り付くように形成されていた。昼間の街とは赴が異なるが、しかしこちらもまた天空都市という言葉が当てはまるような街だった。
 市街地に入ると唖然となった。通りという通りが信じがたい傾斜で構成されているのだ。漕ぐのは不可能な坂道を全身全霊を懸けて自転車を押し上げる。あまりのきつさに自転車でセントロに行くことを諦めて、途中にあった宿に転がり込んでしまった程である。
 この街では無用の長物となった自転車を宿に運び入れた後、街を散策してみた。急坂は見通しの良い場所に立つグレーの大聖堂に向かって延びている。坂の街のよい休憩場所にもなっているのだろう、大聖堂付近のベンチや階段では地元民が腰を掛けている姿がよく目についた。ラテンアメリカ特有の喧騒はまるで感じられず、雰囲気のいい街だ。
 よく見ると人の顔つきも随分変わっている。低地沿岸部では黒人系の人間をよく見かけていたが、この街の人間の多くは混血のメスティーソだった。下界とは違う国に来たみたいだ。
 日が暮れると大聖堂の周りにはいくつか屋台が出た。すっかり冷えるようになった寒空の下、モウモウと揺らめく美味そうな煙につられて串焼きを買った。ジャガイモが二つと豚肉が刺さったダイナミックな串焼きだ。
 夜になって再び停滞しだしたもやが赤、白、緑色の電灯に柔らかなシェードをかけた。柔らかで優しい光が灯り、一層のんびりとしたムードを演出する。あれっ、あのおじいさんは昼間もあそこに座っていたおじいさんじゃないか。
「ははは、下界とは漂う空気も、流れる時間の速さもまるで違っているんだな、ここは」
 山の空気にほだされたからなのか、僕はこのときになってようやく「南米にやってきたのだ」という実感が湧いてきた。それまで漠然と、南米を走ることとアンデス山脈を走ることは同義なのだと思っていたけれど、やっぱりそれは間違っていなかったのだ。
 そしてこれより約一万キロ以上、アンデスの山道が続いていく。いったいどれだけ大変なのか今はまるで想像もつかないけれど、こうして毎日、天空都市に出会えるのならそれもまた悪くないなとも感じていた。とことん走り倒してやろうじゃないか。

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