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幸せについて考えてみる


マズローの五段階欲求説

人生の目的は「幸せになること」と定義すると、次は「幸せってなんだろう?」という疑問が湧いてきます。

具体的に考えを突き詰めていくと、人それぞれということにしかならないのですが、取り敢えず、先人に倣って考えてみましょう。

有名な考え方のひとつに「マズローの五段階欲求説」があります。

詳細な説明については、ここで記述する必要もないでしょうが、この考えに従うと、人間の欲求は「生理的欲求」、「安全の欲求」、「社会的欲求」、「承認欲求」、「自己実現欲求」という段階を持つとされています。

ある人が「あー、幸せになりたいな―」と思っていて、その人の置かれている環境では、明日食べるものにも困るというような状況であれば、生理的欲求を満たす条件が充分ではないと言えるでしょう。
これが幸せかどうか?といえば、そんなに幸せではないかもしれません。
自分自身の生存が脅かされた環境にいるわけですから。

ただ、即身仏の道を選んだりすると、自分自身の意志により絶食し、命を断つということになるわけですから、食べないこと自体が不幸なのかといえば必ずしもそうではなく、「食べたいのに食べられない」という「選択の自由」が無い状態が幸せではないという状態を生み出していると言えるでしょう。

安全の欲求に関しても、身の危険を感じることなく安心して暮らしていけるということですから、住むところがあるとか、病気や事故に遭わずに健康に暮らしていける、万が一、そのような状況になったとしても対応できるような環境で暮らせるということですよね。
ただ、こちらも「スリルを味わいたい」と、敢えて危険に身を晒すという人も一定数いるので、上に書いたような例と同様に「選択できるかどうか」ということが一つの条件になってくるでしょう。

金銭に対する欲求

さて、上で説明した「生理的欲求」「安全の欲求」に関しては、少なくとも現在の日本においては憲法で「健康で文化的な最低限度の生活」が保証されているので、基本的には最低限度の欲求が満たされないということは無いはずです。
しかし、あくまでもそれは「最低限度」ということでしかありません。
「美味しいものを食べたい」とか「広くて快適な家に住みたい」などという欲求が湧き上がってくることもあるでしょうし、自分自身の力で生活しているのではなく、他の人に頼ることによって、そのような生活を送れているというのであれば、他者からの目が気になるということもあるかもしれません(←これについては『人生のコスト』について語る機会があれば、その際にもう少し詳しく書いてみたいと思います)。

今の日本では、「生理的欲求」「安全の欲求」は、ある程度、お金で解決することができます。
「お金で幸せになることは無い」
と言う人は多くいます。
確かに、お金で幸せになることはありませんが、お金で避けられる不幸は結構あるという事実は認めた方が良い。

特に、このような下の階層の欲求に関しては、他者との関係性ではなく自分自身の頑張りによって(お金の力で)解決できるということもかなり多く、それであれば、何らかの方法でお金を得られるように考え、工夫していった方が良いでしょう。

ただし、よくありがちな勘違いですが、手段と目的は取り違えないほうが良いです。
お金はあくまでも不幸を避けたり、幸福になるための手段。
必要以上の幸福を得ようとして健康を損なったり、他の人との関係性を悪くして不幸になるようなことが内容に注意することは大切です。
特に「将来に対する備えのために」という言い方は一見もっともらしく思えますが、単純に不安感に押しつぶされて、お金に振り回されているだけということであれば、一旦、自分の生活スタイルを見直す必要があるかもしれません。

社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求

 生きていく上で「生理的欲求」「安全の欲求」は、生物としての根源的欲求になりますので、その欲求が満たせないということに対する不安感はあって当然ですし、その不安感が無くなるということは幸せへの第一歩だと思います。
 では、それらが満たされたという前提で、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求というのはどういったものになるでしょうか?
 社会的欲求は、比較的生物としての欲求に近いので、それが満たされないことによって不幸であると感じる人も多いでしょう。
 ただ、その一方で「一人でも生きていける」「一人の方が気楽」と思っている人もいるわけで、社会的欲求が満たされないことが即不幸に繋がるかといえば、考え方しだいでは、意外とそうでもなかったりする可能性もあります。
 例えば、親を含めた周りの人から結婚を勧められたり、会社で働くことを強制されたりということもあるかもしれませんが、本当にそれが必要なのかどうかといえば、その人の持つ価値観次第。
 もちろん、人間は社会の中で生きているというのは事実ですので、他の人に対して自分の生き方が迷惑をかけているかどうかについては意識する必要がありますが、もしも誰にも迷惑をかけていない生き方なのであれば、人の人生はその人のものでしかなく、「誰にも迷惑をかけているわけではない」と開き直ってしまって良いのではないかと思います。
(周りに迷惑をかけないというのが難しいのですが…)

承認欲求、自己実現欲求については、更に生物としての本能に根ざした欲求よりも意思や社会的価値観との関係で出てくる欲求ですので、その欲求が本当に自分の欲求なのか、それとも外から与えられただけの錯覚でしかないのかということはしっかりと考え、自分自身の心に問いかけて見た方が良いです。

自分の本当に欲しているもの、欲していることが何であるのか?
それを得るため、あるいは得られないということに対してどのような不安があるのか?

それについて認識するということが、幸せになる第一歩なのだろうと思います。

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