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変なものを買うことの意味

坂口恭平が言っていた。
自分でものを作っているから、物欲なんてない。

『人間は自然のなかでもっとも弱い一茎(ひとくき)の葦(あし)にすぎない。だが、それは考える葦である。』パスカル

物欲はすべて悪いわけじゃない。よく「無駄金払って勉強した」って言うように、失敗を繰り返していると、自分にとってちょうど良い所がぼんやりと見えてくる。
 ただ、なんとなく物足りないって感覚を埋めるために、「なんか買いたい!」ってお金を使うのは違う気がする。

お金を無駄にしないために、じゃあ保守的に確実なものだけ買えばよいのかというと、そうではない。そんなエビの姿勢で安心安全なものばかり選んでいると、自分の範囲が拡がらない(シュリンクする)。
なんの範囲か?ってきかれると困るけど、「センスを扱うスキルのレベルが上がらない」ってことか?意味不明だ。
例えば洋服なら、赤でも紫でも、革でもベルベットでも良い具合に合わせられるってことだと思う。どこか一部分だけ浮いていると違和感100だけど、それを工夫して中和させて、変なものを違和感20くらいに落とし込んで着ていると、それは薬味のように心地よい刺激となる。

【結論: 買い物においては、ときどき変なものを買うことが必要。】

じゃあ「変なもの」ってなんだ?
例えば、世間の流行とは全くズレているもの。(スタンダード、シンプル、高品質が流行りなら、化繊だったり強めのデザインでむしろダサめのもの。)
あるいは使い勝手の悪いもの。(機能美という言葉で無装飾なものを無批判に敬う風潮きもいよね。)

そして、なんといってもいちばんダサくて最高にカッコいいのは自分の手でつくったものだと思う。あるいは「途中でやめる」のように顔の見えるひとが手でつくったものも含む。
ユニク○やニト○に並ぶ、きれいに整えられてどんな服装や生活にも溶け込む、「違和感のない(もちろん悪い意味で)」ものに比べると、なんとも雑で稚拙で頼りないDIYの服や家具。
ぱっと見「変」だよ。「普通にH○MやMU○Iに行けば、もっとちゃんとしたのが安く買えるのに!」

ちがうんだよ。
お金で解決するっていう態度がなにより格好悪いんだ。
だから手で考える。

そう、足(葦(あし))じゃなく手でね。

コンビニ弁当でも買って帰ろ。




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