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小説『潜伏!: 転生してコミュ障がソフトウェア開発した件』の試し読み

僕の小説の冒頭部分を公開します。

はじまりはいつもRain

名簿の中に1人、死者の名前があった。

「この名簿は古いじゃないか」上司Sが言った。

「Aさんはもう、亡くなったんじゃないかね?」

目の前に名簿がある。Microsoftのエクセルファイルに名前が並んでいる。

別のモニターはセーラー服の人物を映し出す。
白いマットレスの上に寝そべっている。頬杖をつきスマートフォンを手に、足を互い違いに動かしている。横顔から表情を読み取れない。
白い壁の部屋には何もなく奥に小さなソファ。人物は相変わらず寝そべって前を向いている。

「今日もそっけない感じがいいね、風船あげるよ」

画面の下部から風船が5個上昇していく。人物の顔を隠す。
人物は横を向いたままこちらを見ようとしない。

***

灰色の人だかりがバスを待っていた。近づくと人だかり2列の人の列、その先にバス停留所があり、工場へのバスを待っていた。
足元の水たまりの上澄みは無色だった。底に赤や黄のケヤキの葉が沈んでいた。水の波紋はゼリーのように粘性を持っていてブヨブヨと揺れた。底のケヤキの葉は沈んで動かなかった。人の列は本当は色とりどりだったんじゃないかな。黒、赤、オレンジ、青。
灰色だったのは空?アスファルト?いや、アスファルトは紺だったはずだ。

バスはどこからか現れた。終点は目的の工場だった。出発地は不明。民営のバスだった。バスの乗車口は2人づつ同時に乗り込む。そのため2列で待っていたことがわかった。バスに乗り20分ほどで職場の工場の入り口前の停留所に着いた。

事前情報によると工場といっても工業製品を大量生産しているラインは工場のごく一部だった。現在ではソフトウェアを含めた装置が主流でありソフトウェア開発のビルが敷地内に点在しているとのこと。
2000年以降、従来製品の売上が下降したが、従来製品と無関係な先進的なソフトウェアの開発分野に参入していた。先取の県民性から法律が未整備な分野に関してさえ貪欲に取り組んでおり工場の売上を支えていた。

Tさんが迎えてくれた。少し年配の女性だった。何か質問したか声をかけた。気を遣って話しかけた。はにかんだ笑顔で受け流された。Tさんは歩く間、くしゃみを数回した。

「あのTの字の建物はなんですか?いやあ、横から見てTの字なんて、おもしろいですねー、上から見てTの字なんてのはあってもいいと思うんですね、でも横から見てTの字って…」

「工場の寮なんですよ。男性用の寮です。最上階は浴場になっています。バブル時代の建物ですね。変わってますものね、うふふ、ちなみにわたしのイニシャルもTなんですよ」


「引っ越し業者がいっぱいです。4月過ぎでいいですか?3月中だと引っ越し代が2倍かかりますよ」

電話で言うとOさんが、

「お金かかってもいいから3月中に引っ越して」

と言った。

そのOさんがソフト開発者がほしいと当時の部長に言ったのでぼくの異動が決まったと後で知った。もともとぼくは比較的人的リソースが豊富な部に所属していた。東京の開発部署だ。ときおり開発者不足の部に人が異動していった。今回はぼくの番らしい。

引っ越しは4月1日より前じゃなくてもいいと思っていた。引っ越し業者は引っ越しシーズンに料金を高く設定した。4月過ぎてもよいかと思ったら0さんは3月中だと言った。付き合っていた彼女が言った。4月1日に体制は整うべきだよ、体裁として。常識としては。

「君はほんとに大人だなあ、ほんとうになあ、うふふ、うふふ」

4月1日にぼくは200人ほどの開発部署の朝礼で挨拶した。拍手が起こった。温かい拍手。

拍手は温かいのではなかった、と後で知った。ただ人数が多いから盛大に聞こえただけだ。今度は笑いを取ろうかな。あるいは拍手も全く起きないほどの冷たい皮肉を言ったらいい。

彼女とは遠距離恋愛になった。

続きはこちらで読めます。


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